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千住のお祭りは 氷川神社の例大祭


「本」と言う字が付く「本氷川神社」が「本」なのか?

9月15日(日)千住本氷川神社 例大祭
3丁目が、宿場町通りでも、メインっぽい。

千住本氷川神社 千住七福神 大黒天
狛犬がなんとも可愛い

夕方、神輿が駅前を通って宿場町通りの3丁目へ

宿場町通りで神輿を待つ

千住には「氷川神社」がたくさんある

5丁目には神社が無い。
5丁目の住人はたぶん初詣は4丁目の「氷川神社」に行く。
3丁目に行く人もいるかもしれない。もてなしで選ぶ?
5丁目は「安養院」が神輿置き場になっている。

千住4丁目「氷川神社」
千住3丁目「本氷川神社」
千住仲町「氷川神社」
千住大川町「氷川神社」
千住宮宮元町「千住神社」(もと氷川神社)

氷川神社が多い訳

氷川神社の総本社は埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社です。「大宮」とはこの氷川神社のこと。

 江戸時代以前は、東京も埼玉も(神奈川県の一部も)合わせて武蔵国でしたから、武蔵国一宮である氷川神社が埼玉や東京には多いのですね。逆に、氷川神社は武蔵国の神社ですから埼玉と東京以外にはほとんどありません。

 東京23区にある氷川神社は59社(荻窪圭調べなので漏れがあるかも)ですが、その分布はけっこう偏ってます。なんと足立区には20社もあるのですが、隅田川を隔てて隣接する荒川区や東側の葛飾区はゼロです。

鍵は「足立郡」にあり
 なぜだろうと昔の地図を見ると、なんとなくわかってきました。

荒川放水路が一番北の5丁目の氷川神社を通ることになる
千住大川町の「氷川神社」へ移る

江戸時代以前は日本はいくつもの「国」(今でいう「都道府県と同じと思ってかまいません)に別れていて、国はいくつもの「郡」に分かれてました。東京都は豊島郡・荏原郡・多摩郡が中心ですが、足立区域は「足立郡」でした。
 足立郡は北は埼玉県鴻巣市、南の端は東京都足立区という細長く広いエリアで、明治になって足立区域だけが東京府南足立郡、それ以外は埼玉県北足立郡と分かれたのです。
 氷川神社がある大宮はかつての足立郡で、埼玉県の旧足立郡域には氷川神社がたくさんありますから、足立区に多いのもわかりますね。

千住宮元町「千住神社」

延長四年(926年)稲荷神社創立し、弘安二年(1279年)氷川神社を創立。明治五年両社は村社と定められ翌六年稲荷神社を氷川神社に合祀し、西森神社と名を改め、区内最高の郷社と定められた。昭和四年社名を千住神社と改めた。

上記「千住神社」

千住宮元町の「千住神社」が一番上かも

「千住神社」が一番古い。区内最高の郷社と書いてある。

千住4丁目の「氷川神社」

千住中町の「氷川神社」 千住七福神 弁財天


千住大川町の「氷川神社」

富士塚がある 千住七福神 布袋様
千住5丁目にあったが、荒川放水路掘削のためここに移転したと。↓


とにかく、千住のお祭りは 「氷川神社」のお祭りだった


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