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千住遊郭 遊女供養塔

今日は、第2弾です。
↓ 第1弾。


足立風土記が本棚の奥から出てきた。駅のそばにある金蔵治の遊女供養塔に並んで、不動院が載っていた。P38・39

不動院の食売旅籠遊女供養塔

亡くなった遊女たちの霊を慰める「旅売旅籠遊女供養塔」が不動院にある。
旧足立区役所、現東京芸術センターの裏側です。行ってみた。

不動明王と観音様
奥の本堂

広いお寺である。隣にも、門を並べて慈眼寺がある。


額の文字が達筆で読めない。
六地蔵と鳥獣供養塔
左の幹が彼岸桜。大きな藤棚が奥にもある。

二つの八十八ケ所霊場、まだまだかくことはありそう。


遊郭の話に戻って

江戸時代の飯盛旅籠(遊郭)

足立風土記1千住地区
P38
四宿それぞれ遊女を抱えた飯盛旅籠が発展します。
遊郭を飯盛旅籠、遊女を飯盛女(または飯売女、食売女)と称しています。
千住一丁目に7軒、
千住二丁目20軒、
千住三丁目3軒、
千住四丁目1軒、
小塚原町・中村町(現在の南千住)に14軒

明治時代

明治5年 「芸娼妓解放令」により、遊女屋は廃業し、貸座敷業へ転業。
     実質は昔のまま営業。

足立風土記1 P39

千住遊郭はどこ?

第1弾ででこう書きました。

パンフレットを読むと
江戸時代の遊郭は、街道筋にあったようです。
今の南千住から今の荒川の北側まで。
大きな一つでなく、40~50軒あったのですね。

「千住は広かった」を書いています。近日投稿予定です。

今の南千住から今の荒川の北側まで

後日に。



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