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江北の五色桜 

足立区を流れる大きな河、荒川(荒川放水路)は大正時代に作られました。この工事で当時江北村にあった五色桜は数奇な運命をたどります。大袈裟?
アメリカへ渡ったり、移植(小石川植物園等)されたり。元の地域にまた復活をしようとしていたり。
荒川を挟んで同じ地名がある(葛飾区堀切の荒川対岸の足立区にも堀切駅あります。バス千住車庫駅は千住でなく荒川の向こう側にあります)ことで、それほど昔にではなく荒川が作られたことが分かります。

江北村は現在の江北より広い地域でした。小台・鹿浜・新田・谷在家等含

五色桜にについて足立区ホームページの説明をご覧ください。

明治19(1886)年3月、後に江北村の初代村長となる清水謙吾が中心となり、開花の期間が長い八重の里桜78種3225本が長さ3200余間(約5.8キロメートル)の熊谷堤(荒川堤)に植えられました。この資金は関係地元民が出し合いました。

花見のために、荒川(現隅田川)には多くの乗合船が出たり、定期航路が臨時便を江北まで延長したりして、多くの花見客で賑わいをみせました。五色桜の名は、当時の新聞に「五色に彩られ」と記事が紹介されたことにはじまるといいます。また、明治45(1912)年にワシントンポトマック河畔に送られた桜の苗木は、江北五色桜から接穂(つぎほ)がとられて生育されました。

大正13(1924)年には国の名所に指定されましたが、荒川放水路の建設、環境の悪化、戦中・戦後の荒廃を経て五色桜は衰退しました。昭和56(1981)年2月ナンシー・レーガン大統領夫人から送られた桜(レーガン桜)が舎人公園に植樹され、同年にはポトマック河畔から桜の里帰りも実現し、区内各地の公園・学校などに植えられました。

足立区ホームページより


足立区の都市農業公園には、34品種86本の「五色桜」が植えられています。
木の名前の表示が付いているので、桜の名前を確かめることができます。
トップ画面「白妙」これは早咲きなので、先日ソメイヨシノと同日に写真撮りました。


ソメイヨシノばかりが桜ではありません。

吉野山の案内をご覧ください

吉野山という名称から、植えられている桜が染井吉野(ソメイヨシノ)であると連想される方もおられるようですが、染井吉野は、江戸時代 江戸の染井で品種改良されたもので、吉野山の桜は、山桜が8割を占めています。(その他の桜の名所も古くからの所は、ほとんどが山桜のようです。)

山桜は、咲き方に特徴があり、染井吉野が、華やかに花だけを先に開花させるのとは違い、桜の葉が少し出始めた後に、花が咲き始めます。そのためでしょうか、山桜にはしっとりとした、品のある風情を感じます。

吉野山 観光協会

桜図鑑の「関山」のページを上に貼り付けました。ご覧ください。
都市農業公園に一番多く咲いている桜です。

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