「当たり前じゃない、父の手料理」

私の父は料理上手だった。記憶にあるのは、毎日台所に立つ父の後ろ姿だ。サザエの壺焼き、白子の吸い物など料亭のような料理から、唐揚げに餃子と家庭的な料理まで、父にかかれば、なんでもござれだった。夏は冷やし中華、冬は鍋など、
勿論季節もおさえていた。
今にして思うとなんて贅沢な食事だったことだろう。父が亡くなって、6年。勿論今はそんな食事はしていない。父からは、絵を描く才能は授かっても、金にはなるところまではいかず、そして更に残念ながら、料理が得意な遺伝子は私には受け継がれなかった。だから自分で作るという選択肢はなく、スーパーや、コンビニの弁当コーナーに立つたびに私は父の手料理を恋しく思うのだった。
サザエの壺焼きも白子の吸い物もない、今では何とも寂しい食生活を送っている。
 父が生きていた頃、そう、あれは高校の時だ。毎日の手料理と弁当に飽きた私は(平手打ちをかましてやりたい)友達に500円で父の作った弁当を売り、そのお金で学校にやってくるパン屋さんのいちごと生クリームのパンを買って食べたことがある。それはそれでめちゃくちゃ美味かったのだが、今にして思えば、私の弁当を買って食べていた友人は、母子家庭でいつも買い弁だった。きっと彼女には父の弁当が、家庭の味に感じたのだろう。そんな事を私達は数回繰り返していたが、この事からも父の味は自他共に認める金を払ってでも食べたい味だった事が分かる。
若かった頃の私は、そんな事に気づきもしないで、父がいなくなってから、もっと実家に帰って父の手料理を食べておくべきだったと激しく後悔しているのだ。虫のいい話である。

 今朝私は夢を見た。実家で父の手料理を食べているのだ。メニューは、唐揚げに素麺に錦糸卵とハムときゅうりの千切りをマヨネーズであえたサラダ、肉じゃがに五目ご飯だ。
そして私はそれを片っ端から食べているのだが、いくら食べても満腹にはならず、素麺サラダをすすりながら、大皿の五目ご飯を一人で平らげた時、父に「食べ過ぎだ。」と箸を持つ手を止められた。しかし、私の視線は肉じゃがに注がれている。それに気づいた父が、じゃがいもを一つだけ皿にのせてくれた。悔やまれるのは、それを食べる前に目が覚めてしまった事だ。
 明け方、コップに注いだ水を飲み終えた私は、台所に手をつき、しばらくみた夢を反芻していた。

もし、私が死んで父に会えたなら、当たり前過ぎて言っていなかった言葉を言おうと思う。
「いつもありがとう」「どれも美味しい!!」
と。父が生きている時に言うべきだった、
この二つの言葉を、必ず会って言おうと思う。


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