「なぜ『使用した或いは融合した財宝の枚数』が参照されるのか?」
0,はじめに
夜、財宝ロイヤルにぼこぼこにされて「財宝大事にしろよ海賊なんだからよ!」と思ったときにふとそのデザインの不思議な部分に気づいてしまったので長々と妄想を書いた。
140字に収まらなかったからnoteにしてみた。
以下、かなり妄想がはいる。
「なぜ『使用した或いは融合した財宝の枚数』が参照されるのか?」という話をしよう
1,前提
・バルバロスの海賊団には、海賊でありながら義族を貫いた先代をその娘であったバルバロスが殺したことで悪しき海賊団となったというストーリーがある。
・バルバロス海賊団メンバーとは「斥候」「砲手」「副船長」「バルバロス」の4体の八獄フォロワーたちのことを指す。
2,「財宝の使用」「財宝の融合」とはなにを意味するか
オクトリスら過去の財宝関連のカードから鑑みるに
「財宝を使用する」→宝物をばら撒く
「財宝を融合する」→宝物を自分のものにする
と取れる。
これをさらに拡大解釈し、海賊団のストーリーに当てはめると、
「財宝を使用する」→宝物を弱者にばら撒く義賊的な行い
「財宝を融合する」→宝物を独り占めにする海賊的な行い
とも取れる
また、海賊団における「使用した或いは融合した財宝の枚数」の条件達成の意味は、最終的に「戦慄の海賊旗」という自由の旗を手に入れていることから、「自由の達成」を意味しているものと言える。
3,妄想
「財宝の使用」に反応するバルバロス海賊団員たちには「義賊的」な部分が残っている反面、バルバロス本人は全くもって「財宝の使用」に反応せず、「財宝を融合」したときに反応する効果のみなのには、バルバロスの強い意志がみてとれる。
EPを消費せずに進化していくその姿は枠にとらわれない「自由」の姿なのだろうか。
一方で、財宝デッキに共通している、「使用した或いは融合した財宝の枚数」という条件は「財宝の使用」と「財宝の融合」のどちらもを参照する歪なテキストである。
これは、先代の「義賊」でありながら「海賊」でもあるという歪なあり方を反映した条件なのではないだろうか?
その道の先にこそ、自由があるとした海賊団の教えそのものではないだろうか
父を殺し、海賊的側面のみで生きていくと決めたバルバロスにすら、その両面的な条件が残っているということが、バルバロス自身の悩みや葛藤をひっそりと表しているようで味わい深い。
眠い、寝ろ
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