旧祝園弾薬庫の自衛隊使用議案の審議における故大崎鉄平議員の発言から

昭和35年(1960年)2月26日
精華町議会第1回臨時会にて

本日、祝園弾薬庫を防衛庁が使用する事について同意するにあたり、若干の意見を申し上げたい。

祝園弾薬庫の問題については、精華町百年の大計のもとに、過去長期にわたり使用反対運動を中心として展開してきました。

その理由は、第一に、生命財産に危険を伴う、さらにあの広大な弾薬庫の地域は、町将来の発展と繁栄を阻害することが主たるものでありました。

全町を挙げての素朴な運動は実に力強いものがあったが、また反面、防衛庁をはじめ政府機関の抵抗も強く、時日の変遷とともに事態の好転が得られなかった。

そこで昨年秋以来、種々、情勢判断を行ってきましたが、事案解決のためには事態収拾を講ずることを適当と認め、一段と反対の主張を強めて防衛庁及び関係機関と折衝を続けてきたのでありますが、当初の主張を貫徹することが難しく、やむをえず対策委員各位の努力の結果、現在、本件に関するすべての交渉も整い、ここに同意を求められる段階に至った次第と思いますが、従って「永年にわたる交渉が妥結し、その終末を告げる誠にめでたい同意」と申し上げたいところでありますが、実は我々は第一に主張した生命財産の危険性については遂にその絶対的安全を保障する根本的な解決策を得られなかった点を考える時、より一層将来に対し一抹の不安とさびしさを感ずるのであります。

おそらく弾薬庫の安全を保障される人は対策委員のうち誰一人として無いと信じます。

すべて私の申し上げる気持ちも同様だと思います。

次に考えなければならない事は、あの施設が当初ほとんど強制的に買収され、そのため多くの人々が当時戦争遂行のため犠牲となったが、平和の招来とともに、またこの運動を通じて自らの手に帰ることを期待いたしましたが、今日、同意することにより、その希望は絶たれ、今後も従来同様の犠牲の継続が我々の手によっても決定されるということ、さらにこれらの人々は今回の運動にあたり、特に部落の人々とともに中心となり、最後の最後まで積極的な反対運動を展開されたのでありますが、(判読不明)事態収拾のための協力要請により、無念の涙をのんで応じられたものと思います。

したがって、ここに同意するにあたっては、かかる犠牲者が存在することを十分に認識し、今後これらの問題についてはは万全の処置を講ずる覚悟がなければならない。

そこで、いろいろと申し上げれば数限りないが、要するに以上の問題点を少しでも満たすべく、町当局は防衛庁側と種々な協定を結ばれたと思うが、決して双方ともその内容を作文に終わらし、また空文化させてはならないのである。

そのすべての責任は、本日同意を与える者の責務であることを自覚し、将来弾薬庫として使用されても、その安全確保については無論のこと、今後、我が精華町に招来するすべては災いでなく幸福をもたらすよう、町当局の最善の努力を熱望するものであります。

※読みやすいよう原文に句読点を付加しています。

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