筑波研究学園都市自立計画(案)

筑波研究学園都市自立計画(案)

昭和53年3月
茨城県

Ⅰ 計画の基本的考え方

1 計画策定の趣旨
筑波研究学園都市の建設は開始以来十余年を経過して、ようやくその姿を現わしつつある。この都市の中核機能である国の研究教育機関等の建設は、54年度概成を目標に順調に整備が進められている。
しかしながら、現時点において、学園都市づくりの今後を展望すると、当初想定していた都市の形成を実現するには、幾多の問題が未解決のまま残されているとの認識を持たざるを得ない。
すなわち、当初の計画期を経て、今、研究学園地区を主体に都市基盤の整備、研究教育機関の建設がピークを越え、いよいよ都市核を中心として整備された基盤を有効に活用しつつ、周辺を含めた新都市に各種の都市機能が定着し、地域に根ざした都市として定着するには、従来の努力に加えて、新たな視点を付与しつつそのビジョンを展開する必要に迫られている。
いいかえれば、従来の都市基盤整備が具体の新都市の形成につながり、新都市が自立していく具体のビジョンを提案する必要がある。
本来、このビジョンは国、県、町村をはじめとする関係者が一体となって、討議を進め、策定すべき性格のものであるが、その先べんをつける意味で、今回、県として筑波研究学園都市自立計画という名のもとに、計画策定を発想したものである。

2 計画策定の背景
筑波研究学園都市の建設は、国の研究教育機関43機関の移転整備を軸として、2,700haに及ぶ研究学園地区を集中的に整備することにより、付加人口を含め10万人の新都市核を形成し、これに周辺開発地区の整備をあわせ20万人の新都市を作りあげることを目指している。
しかし、現状をみると、基幹となる研究教育機関の職員家族等はともかく、これに付加される2次人口・3次人口の定着は思わしくなく、今回茨城県の行った推計によれば、新たな施策の付与を考慮しなければ研究学園地区人口は、65年においても6万人弱にとどまり、10万人の人口定着には長期間を要するものと考えられる。
一方、都市基盤の整備は、地区内人口10万人を目標に順調に整備されつつあり、この投資が早急 有効に活用されないとすれば、その影響は公共団体の財政をはじめ、各方面に及ぶものと考えられる。
また、10万人の新都市核の形成が長期にわたるとすれば、それを基軸とする20万人の新都市が一体として機能するのは遠い将来となり、それまでの間、都市サービスをはじめとする都市行政体の機能も十分に果たせないことが考えられ、今後、長期間にわたって、国の財政援助を必要とすることも想定される。
これらの課題を解決し、早急に人口10万人の都市核を形成し、人口20万人の新都市の実現を図るため,その方向づけが要請されている。

3 計画の基本方向
(1) 研究学園都市の目指すべきもの
筑波研究学園都市は、首都圏に存する国の研究教育機関の移転集積を都市の重要な機能として十分に生かしつつ、人口10万人の集積をもつ研究学園地区を都市核とし、周辺開発地区を含め、人口20万人の均衡のとれた新都市として自立し、首都圏の都市地域の外縁50~70km圏の一角をなす茨城県南地域の多核都市群の一員として、地域定住型都市の先駆として地域振興のかなめとなることにより首都圏の調和ある発展に資する。
(2) 施策の基本
上述の都市像を実現するため、研究学園都市関係6町村が一体的都市として自立し、円滑な都市運営が営まれるように移行させることを目標として、
1) 研究学園地区の既投資を有効に活用し、都市機能の集積を早急に高めること。
2) そのため、従来の研究学園地区内の整備の限界にこだわらず、都市機能を高め、一体化を促進するに必要な施策を研究学園都市関係6町村全域にわたり、展開する。
3) 円滑な都市運営を支える体制、財政の整備、基盤の整備を通じて、新しい都市行政体の成立を促進する。
4) 施策の実現のため、国が主体性を発揮し、総合調整を行い、その推進を図り、県、町村も十分にそれに協力する。
(3) 施策の展開
1) 計画のフレームと目標時期
本計画は地区内人口10万人、周辺をあわせて20万人の新都市の実現を図るものとし、施策の展開期間を考慮し、昭和65年をその目標年とする。
2) 施策の展開
上述の基本をふまえて必要となる施策は、「市街地の形成促進」、「交通網の整備」、「公共公益的施設の整備」、「周辺開発」、「農業振興」、「財政対策」、「体制の整備」にわたり、個別の役割、内容については後述(省略)のとおりである。
3) スケジュール
施策の実現、展開を図る目途として、一応も以下のプロセスを想定する。
・ 第一期(従来の基盤整備終息期・基幹人口の定着期)…~昭和54年
昭和54年概成を契機とする基幹人口の定着とそれに対応する最小限の都市機能の整備期
・ 第二期(自立のための展開・都市揺藍期)…昭和55年~昭和59年
都市集積を高め、人口の更なる付加を可能ならしめる施策の着手ならび周辺整備の時期
・ 第三期(自立のための展開・都市成熟期)…昭和60年~昭和65年
施策の成果によって、機能の定着、都市集積の高まりが起り目標を達成する。

※茨城県資料「筑波研究学園都市」(平成11年3月)Ⅳ.資料編より

~ 以上 ~

以下、関西文化学術研究都市の概成に必要な周辺地区(筑波研究学園都市では「周辺開発地区」)整備の重要性について、関係機関の共通理解としたい筑波研究学園都市の先例において参考となるポイントなどを順不同でメモします。

▼冒頭「計画策定の趣旨」に見える問題意識により都市建設概成を目前に県庁内部において構想された計画であると考えられます。

▼本来、国と県、関係6町村が一体となって構想すべきところ、県が主導する(「先べんをつける」)形で構想することになったことが記されています。

▼県庁の問題意識の核心部分は財政問題であり、地元6町村の行財政力が現状のまま概成させると、将来にわたり都市運営にかかる国の負担ひいては県の負担が増大すると予測されることであったと推察されます。

▼自立都市建設に必要な人口フレームとして、研究学園地区で10万人、周辺開発地区で10万人、合わせて20万人を定めることが本計画の主眼となっています。

▼この時点では、自立都市建設に必要な「産業の集積」などは十分には構想されていなかったものと思われます(「産業」という言葉が一度も出てこない)。

▼自立都市建設を目指し一体化を促進するために必要な施策を関係6町村の区域全体に展開することが明記されています。

▼関係6町村の「合併」という言葉ではなく「新しい都市行政体」という言葉が使用されており、慎重さが求められていたものと推察されます。

▼自立都市建設のため、「国の主体性」により推進するよう、主として国を大きく動かしていくための内部検討資料であったと思われます。

令和3年(2021年)6月5日現在

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