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火傷

自殺に失敗した次の週末だった。
意図的に手を焼こうと思ったわけではない。

夕飯はだいたいスーパーのお弁当だし、朝はパンをかじるだけの食生活だから、我が家のフライパンは活躍の機会を与えられず、いつも不満そうに壁にかかっていた。
その日はパンの買い置きがなく、いつ買ったかわからないホットケーキミックスの余っている袋がたまたま目に入ったので、作ってみてもいいかと思ったのだ。
休日に限って嫌味のように晴れる天気がそうさせたのかもしれない。晴れた休日は、部屋に充満するしーんという音が一層大きく聞こえて耳が痛い。なにか行動していないとこのしーんという音に圧し殺されてしまう気がする。「この世界は晴天で何も問題がなく回っている。外れているのはお前だけだ」と、誰からか言われているような気がしてならない。
最後に開けたのがいつか思い出せないサラダ油のギトギトしたキャップを慎重に開け、フライパンに油を少し垂らし、ガスコンロの火を付けて油が温まるのを待っていた時、ホットケーキミックスの混ざり具合を最終確認した左手の甲がフライパンに偶然触れた。

最初だけジュワリという音がした。次いで鶏肉でも豚肉でもまして牛肉でもない、知らない肉が焼ける臭いがした。痛みはあまりない。こんなものかと拍子抜けしたくらいだ。ヒリヒリとする違和感はあるが、我慢できないほどではない。むしろ次第に大きくなっていくこのヒリヒリは、私が本当に生きているとわかる確かな実感のようで、嬉しいような安堵したような、でも少し驚いたような妙な気持ちになる。
やがてその初めて嗅ぐ種類の肉が焼ける臭いは、焦げるような苦味のある臭いと混ざり始めた。すると先程のヒリヒリ感とは比にならない、骨に直接釘を打ち込まれたような激痛が走り、反射的にフライパンから手を離してしまっていた。あぁこの手はまだ生きたいのかと少し感心するような呆れるような気持ちで、左手を哀れに見下ろす。

それも束の間。辛いのはそこからだった。
もうフライパンから手は離したというのに、徐々に手が文字通り悲鳴を上げはじめ、耐え難い痛みが左手を軸に体中に襲いかかる。

赤く腫れた傷口は、血が滲み、縮み上がった皮をどけて生肉のような照りのある質感の何かが覗いている。
まるで左手が心臓になったかのように、どくんどくんと脈打っているのを感じる。私の全細胞は左手に集約されたように、左手以外の感覚はまるでない。左手をちぎるかのように、力の限り右手で左手首を締め付けているが、その痛みすら感じない。あまりの激痛に食いしばった歯の隙間から、唾液とともに「カッ」とも「ダッ」とも聞こえる変な声が漏れ落ちる。キッチンの床に付いた膝にありったけの力を込めて足を伸ばし、シンクに覆いかぶさるようにしてどうにか水道の蛇口のレバーを上げ、傷口を水に晒す。
少しすると冷たい水を感じられるようになってきて、やがて冷たさと痛みが同じくらいになり、ようやく少し息を整える。死のうと思っている人間が、慌てて冷水に傷口を晒し、カラダを修復しようと必死なことに笑いが込み上げてくる。なんて往生際の悪いカラダだろう。自ら死のうとしたくせに、この体たらくである。

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