「おなかすいた」の認識が狂った

 「おなかすいた」の認識が狂った。もうタイトルそのまんまである。

 満腹時に自然と浮かんでくる言葉が「おなかいっぱい」ではなく、「おなかすいた」になっていた。いつからだろう。ここ最近ではなくもう少し前から起こっている現象だ。ご飯を食べ終わってから「よく食べたな〜」と感じるときに真っ先に浮かぶ言葉が「おなかすいたな〜」なのだ。たまに声に出してしまうこともある。お前は何を言ってるのだ? 分からない。ちなみに当方食欲は普通で、最近夏の暑さに負けてやや少なめになったぐらいである。いつもお腹が空いていて食べないと治らない、食べた直後に消化してしまいすぐ胃が空っぽになるなどといったことは無い。いつも眠いのはそう。
 ではなぜなのだろうか。考えられるパターンは3つである。

① お腹いっぱいになって改めて「おなかが空いていたんだな」と認識した為に出た言葉。
②「おなかすいた」という言葉が「おなかいっぱい」になんらかの事故で置き換わってしまった。
③本当はおなかがいっぱいになってない(あるいはおなか以外のどこかが空いたままになっている)

 うーん。①の可能性は高いと思う。これは食欲以外の場面でも見られる。例えば温度。暑い外から涼しい室内に入るとその温度差に「なるほど外はとても暑かったんだな」と感じる。その際につい「暑いな」と言ってしまうことがある。逆も然り。たぶん感覚的に単体の評価より相対的な評価の方が分かりやすいんだと思う。自分の中で。ただ温度差の場合はその場ですぐに実感するものである為、言葉が相対的評価によって正反対に起こるのも短い時間差に納得しやすいが、食事の工程を挟む際はさすがに時間差が空きすぎる。「おなかへってたんだな」と気づいて言葉になるまでに間が開きすぎではないか。

 ②の場合だが、この「なんらかの事故」の内容が分からない限り難しい。結局それが分からないので根本的な解決にはならない。な、なに……? 言葉を逆にして覚えてしまうこと、幼稚園生まででは? 成人済みがやっていいことではない気がする。

 ③の場合。前提として「実は足りない」ことはほぼない。ご飯を食べ終わった後に「おなかすいた」と言葉が思い浮かぶときに「もう少し食べたい」とは思わないし、もう食べられない。食べれても一口大のチョコレートや食後のゼリーくらいで、「じゃあご飯をもう一口」とは全く思えない。私の中で食事は終わっているし、正しくお腹いっぱいなのだ。しかし胃の状態を脳は正しく認知できないと聞いたことがある。どこで聞いたかは定かではないのでソースの正確性には欠けるものの、そのような言説を見た覚えがある。それを信じる場合、胃と脳で間違いが生じていると捉えられる。胃の中にはモノがいっぱいあり充分なのかもしれないが、脳が「足らないかも」と思っていることから「空いている」という、認識になるのか。それか或いは胃以外の何らかが「足りてない」場合がある。その「不足」が胃にあると判断して出た言葉なのだろうか。「もう胸がいっぱいでご飯が食べられない」という事態はままある。当方もそのような経験がある。それの反対で「飯は食べたが胸に溜まらない」ということなのだろうか。いや、知らん……。不満や欠乏感を抱えているのだろうか、それが上手く言えずに「お腹すいた」になっているのだろうか。そんなセンチメンタルな機微を持っている自信は無い。たぶん持ってない。しかし足りない自覚があるものはある。
 例えば、親切心とか。

 このように考えてみたが分からなかった。お腹いっぱいになったときに言葉として浮かぶ「おなかすいた」の謎とこれからも向き合い続けていきたい。

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