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伝説の洒落男ランキング…


白洲次郎の娘桂子が、著書で述べていた。写真で有名になった彼の象徴的な白い麻のスーツとパナマ帽についてのエピソード。
イギリスに留学中の一コマである

しかし彼自身は日本のリゾートには似合わないとして、日本で着ることなどなかったと桂子は証言している。
どうやらヨーロッパ人が国外のリゾート地(主に植民地)でしか着ないのにならってのようだ。

ファッションには、あい反するふた通りの流儀がある。

日本を代表する服飾評論家の落合正勝氏の主張する、オーセンティック志向で、ルールは厳守すべきと考えるか、ちゃんぽん容認派かは、当人の感性次第なのだろう。

ちなみに「ファッションに正しい、間違いはない」と言うのが私の持論。
ただしフォーマルシーンは全く別であることは明確にしておきたい。

歴代の洒落男

日本におけるファッションシーンで思い浮かべられる歴代の洒落男といえば次に挙げる面々だろう。

西洋ファッションの草分けなら先程挙げた白洲次郎

かれは、公的場面では西洋の流儀を徹底的に意識していた。
吉田首相のスーツに身を包みながら口に楊枝をくわえてた姿をいさめたという逸話がある。
言ってみれば、普通の日本人の意識はこの程度だったわけだが、さすが白洲は本場仕込み。時の総理であろうとビシッとマナーを改めさせたのだ。

リタイア後の庭仕事でのジーンズにTシャツがかっこいい。ジェームスディーンにも負けていない。日本でジーンズを最初にはいたともいわれる、ファッション意識を持った最初の人物かもしれない。


近年の洒落男(ベストドレッサー)
としてしばしばとりあげられるのは次の面々のようだ。

伊丹十三
代表的著書ヨーロッパ退屈日記で、服飾に対するオーセンティックぶりを披露していた。
リアリストぶりは徹底的に作り込む映像と重なる。
しかし白洲のそれと違い、かなり独自性も奔放に発揮して、その心意気は評価したい。

加藤和彦
フォークソング出身だけに、ヒッピームーブメント最中(さなか)の
西海岸ファッションがベースだった。
しかしもともと彼は美意識はかなり高く、後にロックグループとして、イギリスに乗り込んだ頃は、すっかり洗練されてコンチネンタルファッションの雄というイメージへと偏向。
そんな中にも、独特のきれい目な色使いで、個性も主張できていた。


堺正章
テリー伊藤

この2人は近いラインを感じるが、それは色にこだわる点。

堺はベースはトラッドで、正統派ながらもカラーコーディネートは見事。帽子は滅多に被らない。
テリーは髪の事情もあってか、逆に存分に帽子を取り入れるスタイルを打ち出している。
そして一見カラフル過ぎに見えても配色バランスは悪くなく、本人はむしろ意識的にカラフルさに挑戦している感がある。

ともに、ストールやポケットチーフを色使いで遊ぶ点が共通している。
こうして小物を使うのは「ファッションにこだわる自分」を自認しているタイプの特徴だ。

ちなみに私はスカーフもポケットチーフも大の苦手。
私のオシャレ哲学として、「どうです、オシャレでしょ」感をなるべく出さないことを意識している。
これらの小物こそ、その象徴だからです。しかし、スカーフの代わりに以外な使い方のネクタイというのはよくやる。
例えば、ポロのでかロゴの厚手ポロシャツの中にボタンダウンシャツ+細身のダークなネクタイを合わせるとか。

愛すべきワーストドレッサー

突然ですが…
いわゆるワーストドレッサーを挙げるなら矢沢永吉(私自身は長年の大ファンですが)。
むしろ、確固たる“らしさ”“信念”を持っているという意味では評価している。むしろ、これぞファッションと言ってもいいかもしれません。
ダボダボジーンズに下着みたいな白Tシャツ、ボサボサ頭でのリハーサル風景に痺れる。
特にステージ衣装は顔を隠してもすぐ誰だかわかる。

ただし、時々得意げに見せるハンチング(帽)には困った。
正ちゃん帽でnhk教育テレビの若者へのメッセージ・インタビュー番組にでたときも困った。(ニット帽の被り方が耳を全部出す黒沢年雄流、かつては正ちゃん帽といってニット帽はこれが普通だった)
未だに彼の頭の中で、どういう哲学を持っているのか、まったくクエスチョンである。おそらくは、人と同じことはしたくないのだろうと推測する。
いずれにしても、一つのファッションの流儀として孤高の存在であることは確かです。


ジーンズを選ぶなら

話は変わりますが、個人的に今ジーンズを選ぶなら、ブルー又はグレーのブリーチ加工されたもの。かなりホワイトに近いくらいでも可です。ややシルエットはスリム気味。
絶対着ないと思うのはダメージ加工もの。
これらマイルールは男女共通のおすすめです。
トップスを合わせるのに絶対失敗がない。どんなアイテム、場所ももいとわないといえる。



一つの結論。

彼を含め先のリストに挙げた歴代の伊達男のどれも独自のスタイルを持っている点がいい。

服装は自己表現なのです。
ですから、何も考えず、ありあわせのものを着ることも一つの自己表現、ただしその場合、出会う相手、同行する人の立場や、面子や、受け取る気持ちを全く思いやることができない人ですよと表現しているのかもしれません。

自己表現である以上、
それにより美意識(美的センス)の水準、社会性の有無、公私にわたるバランス感覚の有無を
値踏みされているという自覚は必要かと思います。


#服装 #ファッション#洒落男#ベストドレッサー



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