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ペクトラジ 第一部 「終戦直後」


大東亜戦争で陸軍狙撃部隊として出兵した金一は、
終戦に伴い満州戦線から復員した。

金一は、歌手になる夢が忘れられず、
生家大分の山田家を捨て、博多に流れ着いた。
しかし、定職は無く、日雇い労働でその日暮らしを続けざるを得ず、
歌の勉強などする余裕などない。

金一は小金がたまると、中洲の居酒屋に飲みにいった。
米軍が集まるカフェのようなところは、
ジャズ音楽が主体で、金一の好みではない。
 居酒屋には、ギターの流しが訪れ、歌謡曲を歌う。
金一は流しに曲を希望する金はないので、
もっぱら他の客が希望するのを傍で聞くという按配である。
そして、その流しの唄を聴くことが、
金一の唯一の歌の勉強である。

その居酒屋は夫婦で経営しているのだが、
ある日、おかみが体調を崩し、
娘がすこしばかり手伝うこととなる。
その娘は、なかなか器量良しの明るい娘で、
金一は出逢ったとたん、一目ぼれした。
大分の山の中で育った金一は、
おなごのくどきかたなど知らない。
だが、思い切って胸の想いをうちあけるため、
娘を店外に連れ出した。
「明子しゃん、わしはあんたに惚れてしもうた。
もしよければわしと付き合うてくれんかいのう?」
 娘は突然の誘いに躊躇して、目を伏せ、顔を赤らめた。
 「わしはおなごの口説き方はよう知らん。やはりだめかいのう?」
娘は顔をあげ、にっこり微笑んでひとこと、
「よかですばい」

青年と娘の逢瀬は重ねられた。
当然と言えば当然のことなのであるが、
若い男女は結ばれ、避妊器具も思うように手に入らない時代、
娘は身籠った。

娘を傷物にして、主人に打ち明けるわけにもいかず、
二人は駆け落ちすることに決めた。

職をさがすのには、八幡製鉄のある八幡か、
当時漁港で繁盛していた下関が候補としてあげられたが、
八幡は北九州で知り合いもいる関係から、
海をこえた山口県の下関市にきめた。
そして二人は1947年に下関の地に立ったのである。

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