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ペクトラジ  第二部 「土方生活」

戦後、下関市は公共事業である労働者支援策として
「失業対策事務所制度」を導入し、
事務所を下関駅の近くに設置した。
下関は海の近くに山が迫り、平地部が極端に狭い地形である。
漁港として栄えた地を整備するため、
近くの山を切り崩して平地を拡大するという壮大な土木事業を担うのが失業対策事務所の任務である。
土方はつるはしで山を少しづつ切り崩し、

スコップで籠に土砂を積み、
「もっこ」を担いでトラックに積み込むという作業で、
果てしなく続く重労働である。

失業対策に所属する人夫は普通の日雇いとは異なり、事務所に登録すれば、安定した土方作業が得られるのである。
金一は早速その事務所に登録して土方作業に従事した。
ただし、給料制ではない。別の言い方をすれば、「登録制安定日雇い人夫」といえるであろう。

土方作業は雨天は作業中止で、その分かせぎは減る。
「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降れば良い」
 

1948年に長男が誕生するが、平和主義者の金一は、長男を「剛」と命名した。
 強い力がないと、愛する家族そして国家の平和は守れないという意味合いで、平和主義者だからこその命名の所以である。

長男はすくすくと育っていくが、思わぬ落し穴が待ち構えていた。
それは後の話とし、その生活ぶりは、困窮を極めた。

母親の明子も産後あけの体調が落ち着くと、スコップで土砂を「もっこ」に詰める作業などの「軽作業」に従事した。

夫婦二人で土方作業に加わっていたため、
剛は犬のように紐で木にくくりつけられていた。
それが、一番安全な方法ではある。

住家は下関の漁港敷地内にある労務者用アパートで、
失業対策事務所登録者は格安で入居できた。

漁港に漁船がつくと、クレーンと巨大な網で鰯をもちあげるのであるが、
下のほうにある魚は上の魚の重量でぐちゃぐちゃにつぶれてしまう。
つぶれた魚は売り物にならないので、肥料業者にただ同然の値段で引き取ってもらう。
そこで金一は水揚げ時を狙って、剛を連れてその漁港の敷地に入り込んだ。
漁師は「そこの隅においちょるつぶれた魚ばいくらでももっていけ」と声をかけてくれる。
金一は恥ずかしいのか、剛に「このバケツでそこの魚ばもらってきんしゃい」といいつけた。
剛は目を輝かせて、バケツをもって一目散に魚の山にかけつけると、バケツすりきり一杯の鰯をすくってきたのである。
鰯はその日のつみれ汁や、鰯の団子揚げとな
る。
もともとぐちゃぐちゃにつぶれているので、すり鉢でちょっぴりすりつぶすと、簡単に団子の材料になる。
カニが食べたくなれば、満月の夜、下関港の岸壁に行き、魚を餌にカンテラを照らすと、ガゾウ(ワタリガニ)がやってくるので、網ですくい取るのである。
三匹は軽くとれた。


(注)冒頭の写真は下関漁港で、カメラなど勿論持っていない。
   母親の友達の割とお金持ちの親が記念に写してくれたようだ。
   当時のカメラはとても貴重品だった。


下関デパート付近の近代の景色で、戦後当時は荒れ果てていた。


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