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団塊の世代3つの嘘っぽい話

1.     団塊の世代は戦後の復興の原動力となった。
2.     団塊の世代は暴力的学生運動家の世代である
3.     団塊の世代は高額年金層の時代で団塊の世代の
せいで若年層は苦労する


まず団塊の世代ですが、
戦後のベビーブームにより
産まれた集団ですね。
太平洋戦争が終結した
いわゆる終戦記念日が
日本では1945年8月15日
ですね。
大量の復員兵が結婚をし
子供が生まれるのが
1947年以降です。
仮に高卒で就職すると
1965年前後となります
 
朝鮮戦争による戦争特需
朝鮮戦争が1950年~1953年
なので、まだ団塊の世代は
就職していません。
朝鮮特需をささえたのは
数少ない内地の労働者だったの
ですね。
(現在の90歳以上)
 
以下、WIKIの記述による。
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた、朝鮮半島主権を巡る国際紛争[2][3][4][5][6]
ソ連崩壊を受けて公開された機密文書によると、1950年6月25日ソ連ヨシフ・スターリン書記長の同意と支援を取り付けた金日成首相率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け(国際政治史を専門とする五百旗頭真奇襲と呼ぶ)勃発した[注釈 1][7][8][9][10][11]。分断国家朝鮮の両当事国、北朝鮮と韓国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、南北二国の分断状態が続くこととなった。
終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は2022年現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されていない。
 
 
兵器生産[編集]
日本企業に対する兵器や砲弾などの生産許可(実質的な命令)が下されたのは1952年3月のGHQ覚書からとされる。車両修理、航空機の定期修理(IRAN)を、第二次世界大戦当時に戦闘機戦車を生産していて、技術的ノウハウがあった現在の三菱重工業SUBARU[注釈 2]に依頼した。
 
  
 
ただし、「いざなぎ景気」
主力は団塊の世代ですね。
 
いざなぎ景気イザナギ景気(いざなぎけいき)とは、1965年昭和40年)11月から1970年(昭和45年)7月までの57か月間続いた戦後最長[1]高度経済成長時代の好景気の通称。
概要[編集]
いざなぎ景気は証券不況を脱した日本における好景気で、米国における長期の好景気やベトナム戦争も間接的な要因になっているといわれている[2]
1966年(昭和41年)度から1970年(昭和45年)度までの日本の年平均経済成長率は11.8%に達した[2]。1968年(昭和43年)には日本の国民所得(GNP)は1,428億ドルとなり西ドイツを抜いて資本主義国として世界第2位になった[2]
いざなぎ景気という名称は、神武景気岩戸景気を上回る好況という意味を込めて名付けられた[3]。「いざなぎ」とは日本神話で、天つ神の命をうけ日本列島をつくったとされる男神「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」から。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は天照大神(あまてらすおおみかみ)・素素戔嗚尊(すさのおのみこと)の父神。
 
こちらはベトナム戦争が関与している
との記述もあり
こちらも戦争特需のひとつ
ではないかと思われます
1966年~1970年は
ぴったし団塊の世代が
高卒就職・大卒就職に
一致しますね。

しかし、その時代の上司のトップは
やはり現在の90代以上です
(かなりご逝去なされていますが)
働き盛りの30代は
現在の80代ですね。
つまりこの時期、団塊の世代は
豊富な労働力を提供しましたが
単なる働くしたっぱなのですね。
実際に貢献したのは
今の80~90代と考えられます。
 
このデータだけでも
団塊の世代が戦後の経済復興を
支えたというのは
嘘とは言いませんが
かなり低い確率ですね。

 
 
 
2番目の過激派ですが
学園闘争には高校生は参加できません。
当時は大学進学組は少なく
高卒で就職が圧倒的に多い
のですね。
 

(以下、ネット記述による)
現在の人口のボリュームゾーンである団塊世代(1947~1950年生まれ)以上と後に続く世代が決定的に違うのは、「教育を受ける機会」である。教育評論家の森口朗氏が語る。
「団塊世代は人数が圧倒的に多いため教室がすし詰めになる一方、教員の数が不足したので教育が手薄にならざるを得なかった。競争は激しかったが、まだ日本が貧しい時代で親が子供の教育に投資する経済的な余裕を持たず、高等教育の受け入れ態勢もできていなかった。労働力として家計を助けるため、進学をあきらめる子供も多かった」
 事実、団塊世代が高校受験をした1962年の高校進学率は64%、大学受験した1965年の大学進学率は17%だった。
 
大学進学率はわずか全体の17%

その大学の中で
過激派とされる全学連は
全ての大学ではなく
1部の大学です
それに過激派の存在する大学の
中にも右派や右翼もいますし
大半はノンポリ層です。
 
「ノンポリ」を指す意味は「nonpolitical(非政治的な)の略。
政治運動に関心がないこと
あるいは関心がない人、そのような集団を
ノンポリ層とも呼ぶ」とあります。
 
私たちの多くはノンポリでしたね。
 
これらのことを踏まえ
過激派を数値で表すと
おそらく団塊の世代全体の
1%以下に過ぎないのではないでしょうか?

よくTWITTRで見かけるのですが
団塊の世代は若いころ暴れまわった
暴力集団である
と言っていますが
私の試算の1%以下をもち
全体を暴力団体と決めつけるのは
腑に落ちませんね。
 
 
 
3番目の、団塊の世代は
高額年金取得層で
若い世代は団塊の世代の
せいで、苦労するとの
Tweet もよく見かけます。
団塊の世代はゴミだ、邪魔だ、
無駄だ、早く死ね。
まあこれも1部のTwitter
ですけどね。
団塊の世代の年金額は
思ったほど多くはないのです。
月額20万以下ですね。
 
(参考:厚生労働省「令和元年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」)
令和元年度時点では、国民全員が受け取れる老齢基礎年金の平均受給額は、月額56,049円、老齢厚生年金と合計した合計受給額の平均は146,162円となっています。
なお、厚生年金の保険料は収入に応じて納める金額が変動し、その分老後に支給される受給額も増減します。
例えば、65歳以上男性の受給権者の合計受給額の平均は月額171,305円ですが、女性は月額108,813円と差が見られます。これは、女性は結婚や子育てによる退職などによって勤務期間が短くなりやすく、それに伴い総収入が少なくなったことが理由として考えられます。

 
65歳以上男性の受給権者の合計受給額の平均は月額171,305円
とありますが私の場合は平均ですから
もう少し多いですね。
 
しかし何しろ団塊の世代は
半端なく多数いますから
若年層が負担する税金は
半端ないですね。
  
多数の団塊の世代が
年金を支えた、年金富裕層は
実は90歳前後なのですね。

 
 
 
はい、以上、3つの嘘とは言いませんが
少し「嘘っぽい話」を述べてみました。
 
ちなみに、私は学生時代はノンポリ
でしたが、次第に右寄りに
傾いてきました。
これは土木という建設業に
関わってきたせいかもしれません。
 
 
団塊の世代が全員後期高齢者
になる2025年問題は
あと2年ちょっと先ですね。
 
 
トップ画像は中学の卒業写真から
1クラス55人程度
全12クラス、1学年で660人
3学年で2000人程度が
運動場を埋め尽くす場面は
驚嘆にあたいします。

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