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橋の橋名板の表記:漢字が入り口でひらがなが出口

私がフォローしている
「朧月夜」さん
この方はとても教養のある
かたで、離島での日記を
淡々とつづられています。
最近面白い雑学を見つけました。
 
「橋の入り口は」

これをちょっと補足してみたいと
思います。
 
以下ネット記事による。
 
ちなみにどの橋にも橋名板がついていて、漢字表記の向こう側は必ずひらがな表記となっています。どちらも向って左側にあります。
それでは、なぜ橋には入り口と出口が存在するのかというと、道路には『道の始まりの地点を「起点」、終わりの地点を「終点」とする決まりがあり、起点を入り口、終点を出口としたそうです。
 
昔は「すべての道路の起点は東京の日本橋」とされていて、日本橋に近い方を起点(入り口)、遠い方を終点(出口)としていたそうです。
 
 
今では各都道府県や政令都市によって、県庁側が起点だとかその逆だとか、重要都市側を起点にするとか、国道や県道・市町村道によっても取り扱いが変わってくるようです。(注1)


これは毛呂山町第4団地と
ゆずの木台にかかる
伴六橋の橋名板です。
ゆずの木台側は漢字
第四団地側はひらがな
ということは、ゆずの木台側が
入り口となるようです。
 

手前が毛呂山町役場側


向こうが毛呂山町役場



はて、周りをみわたすと
日本橋に近いかわからず
むしろ平行のようです。
 
(注1) にあるように
毛呂山町役場がゆずの木台
の中央2丁目にあるので
役場に近いほうが入り口
なのでしょうね。

 
(トップ画像は伴六遺跡公園と
毛呂山町役場)

ところでこれから先は
余談となります。
 
普通、毛呂山町でも「台」が
つくところは、高台です。
ところがここだけ平地なのに
「台」の名称がついているの
ですね。
 
もともとゆずの木台は存在せず
住宅供給公社が沼地を
開発着手10年以上前
1坪1000~2000円程度で
全区画購入。
プレロード工法に着手しました。
今では考えられないくらい
古い工法で、土砂を10mくらい
積み上げます。
昔、いなかにいけばどこにでも
見られた工法ですね。
10年以上の歳月をかけて土砂荷重
をかけ続けると、地下の土砂は
脱水され、圧密沈下をおこします。
土砂が脱水されれば強固な地盤に
かわります。
これは最古の地盤改良工法ですが
なにしろ大掛かりで長い時間を
有するので、近代では手っ取り早い
「杭基礎」に変更されています。
杭基礎ならばまだしも、畑を整地した
だけで住宅を建設する業者も
ありますね。
これでは、家屋が耐震性能を
有していても、基礎から
やられてしまいます。
 
話を住宅供給公社にもどし
プレロードの土砂を撤去し
整地すれば、安全な住宅地として
開発できるわけで450世帯程度の
大団地に生まれ変わりました。
 
下水の終末処理場は第一・第二団地より
川角駅よりにあり
そこから第三・第四団地にむかって
上がってきました
水は高きから低きにむかって
流れます。
 
すなわちゆずの木台ができる前は
第四団地が下水的には
末端の最上段にあったわけですね。
 
ところがゆずの木台の下水流域
方向は、逆向かいの東毛呂駅
方面となりました。
 
沼地の時は橋が無かったのですが
第四団地とゆずの木台に
「伴六橋」という橋を
かけざるを得ませんでした。
 
下水処理方向としてゆずの木台の
伴六橋付近は末端となるため
一番高い位置になりますね。
 
そうすると、第四団地と
中央二丁目では、後者のほうが
高い位置になります。
これゆえ、この付近で一番高い
地域ということで
「ゆずの木台」という「台」
名称がつけられたようです。
 
ちょっと写真では見づらいのですが
中央2丁目の段差を解消するため
伴六橋から第四団地の道路に
急勾配の傾斜で道路を
すりつけねばなりませんでした。
橋はほぼレベルにしないと
いけないからですね。
 


このすりつけの勾配のきつさに
自転車で3回転んだことが
ありました。
 

毛呂山短歌会で練習で詠んだ歌
「中央の 二丁目と三丁目(第四団地)に
かかりたる 伴六橋の 道険し」
これを解説したところ
短歌界の重鎮が

「わしの住んでいる山道で
そんなこといっとると
山ではくらせんわい」

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