135㎖のしあわせ
私は、元酒飲みである。
近頃お酒を全然飲まなくなった。
……酒飲みのいう”全然”は、飲まない人から見れば大嘘である。“一切”でもなければ”全く”でもないので少しは飲んでいることがわかる、ちょろまかしの根性が垣間見える。でも全盛期から比べたらひと舐めくらいの量で……この"ひと舐め"というのも酒飲みがよく使う嘘くさい表現のひとつ。”一滴しか飲んでない”とかも同じく怪しい。でもでも私は最近全然飲んでないんですよ……ってあれ、もう誰も信じてくれなくなったかしら。
注釈が多くなったが、酒飲みだった私は“嗜む程度”というおしとやかな属性になった。
とりあえずの一杯のあとも二杯目を飲まずに炭酸入りの水なんか飲んで平気な顔ができるし、一緒に食事をしている人がどんどん飲んでいてもウーロン茶を頼み続けることができる(どうですか、すごいでしょう)。
そんな嗜む女になった私が飲むときは何を嗜んでいるかというと、
もっぱら缶ビールのミニ缶である。
これが本当に素晴らしい。
ビールの最も完成された形状じゃあないかしら。
仲良しの酒飲み、パリッコさんとスズキナオさんのお酒の本に「夢眠ねむのミニ缶日和」という連載を始めたほど気に入っている。
ビールは絶対、一口目が美味しい。
ミニ缶はその一口目にスポットライトを当てたような存在なのである。
このミニチュアサイズの缶は135㎖。
完全なイメージであるが、お盆とかで親戚のお酒に強くないおばさんとかが飲んでそうである。
この前聞いたのは、お祭りの御神輿を担いでるおじちゃんたちが休憩所でタライいっぱいに冷やされたミニ缶をキュッとやっていたりするってこと。やっぱりちょっと非日常。
日常に置き換えると、アレっていつ誰が飲むの?とずっと疑問だったのだが、今の私のような人が飲んでいるんだろう。
お酒は大好きだが、嗜む程度になった人のために。それでも、仕事後にビールをプシュッと開けるあの音に恋焦がれている人のために。
大酒飲みの頃はわからなかったけど、一口で満足したい人が世の中には多数存在するのだ。そしてその人たちのために、あのごっこ遊びのような缶は存在している。
飲んだ後の罪悪感が全くないので、ちょっとまだ仕事が残っているんだよなあ、このあと夕飯作らなくちゃいけないのよねえという状態でも躊躇せず飲むことができる。あの小ささはすべての瞬間にマッチングするのだ。
家でも、公園でも、旅先でも良い。
プシュとあけると小さい酒場が完成する。
そういえば昔はこのサイズの炭酸飲料もスーパーで見かけていたが全く見なくなった。廃盤になったのか、存在しているけど需要がないから私のよく行くお店に置いていないだけなのか……あらゆる飲み物のサイズとして適用していただきたい。
一番いい場所は、閉店後の自分のお店。
やっぱりビールは仕事終わりがよく似合う。
もう今日は疲れた!という営業終わりの買い出しの帰り、自分のお財布から小銭を出し小さいビールを2缶買う。
店で洗い物をしている姉に「おつかれさま〜」と渡すと、姉はいまだに大酒飲みであるから、私の買ってきた見慣れぬミニ缶を見てはしゃぐ。
「やったー!一番美味しいやつじゃん!ロング缶より、ある意味贅沢だよね」と笑う。
確かに、ミニ缶はロング缶より贅沢な一品。
マロン・グラッセのような、トリュフ・チョコレートのような、そんな輝きをたたえた小ささなのだ。
キュッと秒で飲み終え「ああ、いい日だったなあ」としみじみ浸る。
……たまに、これでエンジンがかかってふたりでいそいそ瓶ビールを開ける日もあるけど。
その勢いで回転寿司屋に行って生ビールのむ日もあるけど。
次にいいのは自宅の夕飯前。
仕事から自転車で帰り、あーっ今日はもう、という時に冷蔵庫の上段に2本くらいストックしてあるミニ缶に手を伸ばす。
プシュとあけひとくち、気合を入れて夕飯を作りはじめ、ちくわの端っこやらキムチの残りやらをちょぼちょぼやりながら飲む。
旦那さんに見つかり「あら!珍しいね」に対してうふふと笑いながら、火が通ってるか確認するふりをして揚げたての天ぷらなんかをつまみにする。はぁ、最高〜〜〜。
心地よい疲労感の中、一口だけ美味しいビールを飲む……今の私の幸福ここに極まれり。
やっぱり私はお酒が好きなんだな。
こうして書いてみると、ミニ缶がくれる時間は飲酒時間のいい所をトリミングしたような感じだ。
これが”全然”飲まなくなってしまった人にもおすすめなポイントかもしれない。
舐める程度に、一滴ほど。
135㎖のしあわせを。
このnoteは、キリンと開催する「 #ここで飲むしあわせ 」投稿コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。
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