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なぜ私はヨシミという女を許せないのか

そろそろ文章化をしておきたいと思った誰も救われないストーリーを綴ろうと思い立った。
自分でもどう着地させるのか予測不能だ。
以前の記事で描いたようなポップなTAKAKOの件とは打って変わっての記事になる(そもそもあれがポップだったかは置いておいて)

こんな丑満時に私は15年以上も前に「ヨシミ」という女にもらった手紙を読んでいる。正確にはこの手紙の右上にご丁寧に【2002年5月10日】とヨシミの丸文字で記載されているので19年前という事になる。

ヨシミは私と同じ高校の1学年下の後輩だ。
その高校は1学年に専門科が9クラスあり私はその中の「セラミック科」と言う何一つヒントのない謎のクラスを選択し受験をした。セラミック科は1学年に1クラス。3年間同じメンバー40人で卒業までを過ごす事になる。
ただこのセラミック科。お世辞にも偏差値が高いとは言えない。
なのでと言ってはアレだが、卒業の時にはしっかり人数が減っている。
毎年そうらしい。
主な授業はろくろ。
ゴーストだかニューヨークの幻だかしらんがそれです。2人でいやらしく粘土こねこねしてたあれです。
あんなやり方先生の前でやってみようもんなら「軸がズレる!!!」と竹刀で頭頂部を殴打された後に自分自身がろくろに乗せられ全速力で回転させられ、遠心力でふっとばされてガッシャーーン!!!って....いや、ろくろのくだりは盛りました。
とにかくやたらお茶碗を作ってた気がする。
今回はその高校の特殊性は置いておくとして、、、、。

高校って部活でもやってない限り、後輩で同性の友人って出来にくいような気がする。工業アルアルなのかもしれないが。ただ私たちの学校は学年問わず、同じ科のメンバーには少なからずの仲間意識があった。
特に特殊なセラミック科はその代表的なファミリー感があったと思う。
だからと言ってめちゃくちゃ全学年が話しをしたり仲がいいわけでもない。
きっと他のクラスよりも偏差値の劣る科の劣等感共有だったようにも思う。

と言うわけで全校生徒1000人を超える中でも、喋りはしないが先輩や後輩のセラミック科のメンバーの顔はなんとなくだが認識していた。

話をヨシミに戻す。正直彼女を認識した日を覚えていないが、今この手紙を読む限り通学のバスで初めて会話らしい会話をしたようだ。これによるとヨシミの作文が校内の文集に載っていたらしく、それを読んだ私は彼女に感想を告げる為話しかけた様だ。

「私はルミさん、最初怖くて、でも挨拶返してくれて、いい人ダナー...って思って『松本パワー』が文集に載って声かけてくれて、うれしかったです。めっちゃ。バスが一緒で、2人でサンクス行ったんですよ。忘れてるだろなー。ルミさんは。」

とある。ヨシミ、流石や。忘れてたし思い出せもしない。

その手紙の中盤には唐突に、
「前も言ったけど、ルミさん長生きしてくださいね。常に前で目標になる人が居ないと実は自分の背筋が曲がってたり、自信無くしてても、気づかないもんです。ルミさん見ると「あ、もっと背筋(キモチの)伸ばさなきゃ」とか「女にもある漢気持たなきゃ」って思って元気になります。」

とある。

この手紙の数年後に彼女が私より先に亡くなるなんて誰が予知できただろうか。
いや私には出来ていたのかもしれない。

彼女は死ぬ前々日に、地元三重県からわざわざセラミック科の恩師と2人で急に神奈川に住む私に会いにきた。
恩師は東京で研究会があったとの事で次いでに私に会いに行くと連絡をくれた。
そこにヨシミがついてきた形になる。

ただ、その夜溝の口でご飯を食べる予定が、私の仕事が原因で行く事が出来なくなってしまった。
それを恩師に連絡したところ急にヨシミが電話を代わり私を捲し立てて来た。
凄い勢いで罵声の様な声で。
直ぐに様子がおかしいと感じた為明日の朝、溝の口に行くからランチでもしようという事になった。

翌朝、溝の口駅前のホテルのロビーでチェックアウトの時間に余裕がある恩師と再会をした。挨拶もそこそこに「ヨシミはまだ部屋だ」との事でヨシミの部屋番号を聞き、会いに行った。

部屋をノックし「ヨシミ」と声をかけるとガチャリとドアが開き、彼女は「はいって」と静かに私を迎えた。
これは凄く鮮明に覚えてる事なのだが、彼女がお茶を淹れてくれた。ホテルの備え付けのTバックなんだけどその行動にかなり違和感を感じた。
何がどう違和感だったのかは説明できないが明らかに彼女らしくない行動だった。

ホテルの部屋では彼女の近況を聞いてたのだが、その会話の節々に違和感があった。
人間の能力「違和感」は確かに存在すると確信した一件だった。
話を一区切りしたヨシミは「ルミさん。お金を貸して欲しい」と切り出した。
帰りのお金が足りないから一万円貸してほしいと。
私はお金は貸せない事を伝え、彼女に所持品の中に要らないものはないかと聞いた。
そうすると彼女は今で言うエコバックの様な白が黄ばんだトートバッグを出した。私は「それを一万円で買うよ」と彼女に一万円を渡した。ヨシミは「ありがとう。ルミさん本当にありがとう。これでロープ買って首吊って死ぬわ」と笑顔で言った。

チェックアウトを済ませ、ランチをして買い物してお揃いのピアスを買ってあげて恩師を含めた3人でプリクラを撮り溝の口で解散した。

翌々日の出勤時に恩師からの着信を見て全てを悟った。

「ヨシミはもうこの世界に居ないんだな」と。

恩師はヨシミが死んだ事を淡々と私に伝えた。
恩師は自分の亡くなったフィアンセに激似だったヨシミに教師と生徒以上の特別な感情を持っていた事を私は知っていた。
恩師は大切な女性を2度も首吊り自殺で失った事になる。

シュタインズゲートじゃないけど私は無数の時間軸があってバタフライエフェクトみたいなもので回路の変わる無限の世界で現実が構築されていると思ってる。割と幼い頃から。
なのでこの一件は私に大きな罪悪感と他者への問責を産みトラウマみたいなものを背負わせる事になる。

例えば、この世界であの時あのヨシミのトートバッグを私が一万円で買い取らなかったら「ヨシミが生きる世界線」になっていたんじゃないか。
例えば、ヨシミと私が出会って居なくても彼女はこの世界では「死ぬ」世界線だったんじゃないか。
例えば、恩師のフィアンセが死ななければヨシミは生きていたんじゃないか。
例えば、私の過去の九死に一生を得た時、私が死んでいればヨシミが生きる世界線だったんじゃないか。

彼女の葬儀は家族葬で行われ、彼女が亡くなった事を2021年の今も知らない友人さえいる。

彼女が亡くなって何年経つのかも何月に死んだのかさえ覚えていない。むしろ恩師からの電話の直後から数ヶ月の記憶がない。

一つ覚えているのは、ある時ハッと気付いたら会社にいたはずなのにコインランドリーの待合椅子に座っていた事だ。
恐らく限界だったんだろう。


着地の見えない乱文の終わりをそろそろ見つけなくてはいけない。

「なぜ私はヨシミという女を許せないのか」

ヨシミに対して憎しみはないし、恨んでもない。

ただ彼女が自死を選んだ事。
最後に私を選んで会いに来たことを許さない事が彼女との絆のような気がしている。

数年前、ヨシミと同級生で唯一彼女の親友だったソネちゃんに連絡を取り、ヨシミの墓を教えてもらった。


墓はなかった。

京都のとある寺院の無縁仏に合葬されていた。
寂しい場所だった。
本当に寂しい場所だった。

桜が綺麗に舞っていて、少し幻想的にも見えたが目の前は現実だった。

両親もいて兄弟もいたはずだ。

若くして亡くなった彼女が何故ここまで寂しい場所にいるのか。

そんな場所で桜がヒラヒラと美しく散り舞うので「諸行無常」と呟き少し泣いて金閣寺に写経に行った。

般若心経を寡黙に筆でなぞりながら「南無阿弥陀」と唱えた。


着地が写経になった事もヨシミを許さない理由に入れておこう。

ようやく本当にさよならヨシミ。

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