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ゆめいろさがし田中弘基が東京藝術大学作曲科を目指した理由(田中弘基インタビュー①)

【プロフィール】
田中弘基(たなかひろき)
1999年生まれ。兵庫県神戸市出身。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校作曲専攻を経て現在同大学作曲科4年に在籍。作曲を斉木由美、小鍛冶邦隆の各氏に師事。
2019年学内にて自作品のみによる「個展演奏会」を企画・開催。
2020年度公益財団法人青山音楽財団奨学生。

1. 作曲家を目指したきっかけ

——作曲科に入ろうと思ったきっかけを教えてください。
小さい時から家に音楽がある環境でした。両親全然音楽専門じゃないんだけど、一般大学のオーケストラに入ってたような人たちなので、クラシックのCDもたくさんあったし、オーケストラのスコアも20冊くらい家にあって。そういうのを自然と目にしたり耳にしたりできる環境だったっていうのが一番大きいかな。

両親には僕をプロにしようっていう気は全然なくて、ただ自分たちの経験上音楽ができたらすごく楽しいっていうのを知ってたから、僕に何か楽器をやらせようってなって。何せオーケストラ出身だから、オーケストラで一番美味しいパートっていうと、まあどの楽器にも贅沢なところはあるけど、やっぱりチェロだよねって両親はそう思ったらしいのね。まあヴァイオリンかチェロやらせようかなって言って。そのとき地元で音楽教室の宣伝みたいなのが来てて、ヴァイオリンとチェロ両方試奏できる機会があったの。その時にどうやら僕は覚えてないんだけど、弾いてみて「チェロがいい」って言ったらしいのね。それでチェロを始めたのが6歳の時。まあちょっと遅いんだけどね。

それと同時に家にあった楽譜やらCDやらを引っ張り出して聴いてみたり読んでみたり、っていうことをしてたら、だんだん曲を作ることに興味が湧いてきて。家にあるオーケストラのスコアとかを見て、楽譜を読むのがすごく楽しかったから、最初はそれを見た目真似して書いて、全然でたらめなんだよ(笑)。文房具屋にあるような五線紙を買ってもらって、楽譜みたいなものを書くのが楽しかった。楽譜を書いたみたいな気持ちになるのが楽しくて。でもだんだんそれは本物じゃないってことがわかってくるから、「楽譜を書いて曲を作る」ってことをやってみたいって思ったのね。

最初はうちの両親も真面目には取ってなくて、よくある子どもの夢だと思ってた。サッカー選手になりたいみたいなそういう話だと思ってたんだけど、あまりに僕が言うものだから、どうしようかって、正直困ってたのね。そう思ってたら、たまたま僕の家の隣に現代音楽の作曲家の先生が引っ越してきた。ほんとにたまたまなんだけど、通ってた教会で知り合ったの。「どこ住んでるんですか?」っていう話になって「そこ、隣だわ」みたいな(笑)。その先生に「作曲家になりたい」ってダメ元で言ったら、「じゃあとりあえずピアノは弾けなきゃいけないからピアノをやりましょう」って、最初ピアノを教えてもらって。それが10歳の時かな。しばらくして作曲理論とかソルフェージュとかも習うようになった。それが12歳の時。

習い始めてしばらくして、「ほんとにあなたが作曲の道に行きたいのであれば、音楽大学に行くことになる」っていう話になったのね。その先生に言われる前から音楽の道に進むことは検討してたんだけど、両親とも話して、高校から音楽の道に行くのもありなんじゃないかと思ったのね。僕はどこでも音楽高校の作曲専攻があるところに入ってそこで勉強したいと思ったんだけど、先生には藝大附属の音楽高校(藝高)を目指してみたらどうかって言われて。さすがにちょっと無理なんじゃないかって思ったんだけど、半信半疑で先生の言われた通りに藝高を目指す前提で受験勉強して、運良く入っちゃって(笑)。藝高に入ったからには当然東京藝大を目指すことになって、今に至るって感じかな。

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2. もし田中弘基が作曲家以外の道を考えるとしたら

——田中さんが音楽の道に進むにあたって、ご両親はどうお考えでしたか?
全然反対されなかったの。ただの一度もされなかったかな。そこら辺の苦労とか、両親とのコンフリクトみたいなものは全然なかった。それはすごく自分は良かったと思うんだけどね。だいたいそこがみんな大変だって言うじゃん? 逆にうちの両親は、「あなたがそこまで音楽好きで作曲やりたいんだったら、他の道に行ったってたぶん身が入らないでしょ? あなたぐらい好きなんだったら一か八かやってみなさい」みたいな。「どうぞ行きなさい」って、そこはすごく協力してくれて。

まあ両親も不安は当然あっただろうけどね。もし僕の希望通りの道に行けたとしたって安定して食っていける道じゃないしさ。だけど「そこまで好きなんだったら反対する理由もないし、やってみなさい」っていう感じ。

——とても素敵なご両親ですね!ちなみに、もし田中さんが今作曲をやっていなかったら何をしていたと思いますか?
それはけっこう面白い質問(笑)。僕は小中高と音楽バカだったから、あまり音楽以外の道に進むことは考えなかったの。だけどもし音楽やってなかったら、何になったかね……。最近例えば主に戦後ドイツの歴史とかすごく興味あって、いろいろそういう本を読んだりしてるから、歴史の研究家とか文学の研究家とか、文系の学者を目指しただろうね。って最近思った。

——似合いそうです!チェロから音楽の世界に入ったという話ですが、音楽分野でも演奏家などの道ではなかったんですね。
演奏家にはなってなかったんだと思うんだよね。僕全然舞台向いてないから(笑)。僕いつも演奏家見てて、人前でパフォーマンスするってすごいなって思うんだよね。絶対にああいう風になれないなって思うから、すごく演奏家の人たちを尊敬してるんだけど。舞台上で自分を魅せる、パフォーマンスするっていうことが、演奏家の中でも得意苦手はあると思うんだけど、自分は気質としてあまり向いてなかったんだろうなって思う。作曲家だからさ、引きこもって自分で練り上げてそれを人にやってもらうっていうのが、たぶん一番自分に合ってたのかな。

——これは実はゆめいろさがしメンバーからの匿名質問でした(笑)。
あ、そうなんだ(笑)。なんか、早々に「作曲だ!」って思ったから、それも小学生の時とかだから。よくそれで今までやってるなって自分でも思うんだけど(笑)。

——でもそういう直感って大事だったりしますよね。
だからねあれは人生最大の直感のひとつだった。その直感がなかったら、もしかしたら演奏家を目指したかもしれないね。

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ゆめいろさがしとは

朗読音楽絵本を制作し、上演する団体です。東京藝術大学の学生が集まり、現代の諸問題を暗示させる動物世界の物語を描いています。

▼ゆめいろさがし公式サイト
https://yumeirosagashi.studio.site
▼ゆめいろさがし公式ショップ
https://yumeirosagashi.booth.pm

インタビュアー・加藤理沙
運営・ゆめいろさがし

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