你好と谢谢しかわからない私が推しの生日会に行った話⑥
こんにちは。私の住んでいる北海道はまだ肌寒いですが皆様いかがお過ごしでしょうか。北京はもう半袖だそうですね。夏の北京、行きたいです。
北京3日目前半
さあここからが本番です。私はここからを書くためにこのnoteをしたためているのです。
この日もまたお昼をAちゃんと食べてから一緒にタクシーで会場に向かい、夕飯は火鍋で打ち上げの予定でした。しかしAちゃんが午前中にサロンを予約していたことを思い出し、お昼は各自で食べて直接会場で会おうということになりました。
ここからが問題です。まず私には所持金がほぼありませんでした。前日デパートで調子に乗ってバカ高い猫の絵を買ったのが原因です。でも猫の絵に罪はない。猫の可愛さに負けた私が悪いのです。また会場が謎の場所にあり、最寄りの駅はありませんでした。そして私は中国語が話せず支払い手段もないのでタクシーに乗れません。残った交通手段はただ一つ。バスです。中国のバスは現金も使える上に料金がえぐい安いので金銭面では心配ありません。ですが中国語がわからない身としてはそれはそれは不安しかない交通機関なのです。しかしそんなことは言ってられません。バスに乗るしかないのです。
夕方ごろに会場に着きたかったので、午前中はゲスハの周りを散歩して周りました。緊張でお腹が空かないしお金もないので何もできませんでしたが、ただ写真を撮りながら異国を歩くというのはとても楽しかったです。
噂のさんざし飴。食べなかったことを後悔しています。
街並みが上海影視楽園で見た光景そのままという感じでとても感動しました。観光地を少し離れると庶民の暮らしが垣間見れて興味深かったです。ちなみにこの日はPM2.5が凄くて鼻をかんだら真っ黒でした。
朝食も昼食も喉が通らなかったので、なにも食べないままバス停まで地下鉄で向かいます。駅を出てすぐのところにバス停があり、すぐにお目当のバスも見つかりました。どうやってバスに乗ったのか、緊張しすぎていてほとんど記憶がありませんでした。
不安な時はとりあえず一番前の席に座ります。ここからはもうとにかく降りるバス停を間違えないようにするだけ。するだけのはずなのに、間違えました。おかげで歩道の無い車道を2キロ歩きました。上を向いて歩いたので泣きませんでした。えらい。
ここで私の微博活動の話をします。私は今回の生日会のために自作イラストのポストカードとステッカーと日本のお菓子を準備しました。なぜかと言いますと、他のファンが作った配布物が欲しかったからです。本来なら配布条件として"何昶希超話レベル"や定期的にある"後援会支援金参加証明"、なにかのイベント時の"何昶希投票証明"などが必要なのですが、もちろん外国人である私にその条件達成は難しいです。なので私は事前に"あなたの配布物と交換"という配布条件で微博にて告知しました。
ここで重要なのは自分が「日本から来た日本人」であるということを主張することです。これは決して日本人だから優遇しろということではなく「日本にも希希が好きな人がいる」ということをアピールし大陸ファンの方達に知ってもらうことが目的です。日本語を交えたり、翻訳機を使ったあやふやな中国語でも大丈夫です。大陸ファンは"同担みな家族"の精神が強いので快く歓迎してくれるはずです。
話を戻します。私の配布告知投稿を見た大陸ファンの方達からDMやコメントが届きました。
「私はこんな配布物を準備していますが、もしよければ交換しませんか?」
「配布物はありませんがぜひ会場で会いましょう!」
配布物が足りなくなるのではと心配になるほど連絡が来ました。本当にありがたいことです。また、私が欲しい配布物を配る方にはこちらから交換可能かとのDMを送りました。配布物は基本的に早い者勝ちなのですが、特別に取り置きをしてくれるとの返信を頂きました。なんて優しいんだ…泣
そんなこんなで期待半分不安半分、緊張でガチガチなまま会場へ向かいます。微博のTLを見ているとみんな"天空島"というところにいると投稿しています。会場から歩いて5分ほどの場所にあるカフェで、外はとても寒かったのでどうやら生日会が始まるまでそこで待機するそうです。"降りるバス停を間違えたから遅れる"という旨と共に到着予定時刻を微博に投稿すると、すぐにフォロワーさんたちが心配と励ましのコメントをくれました。みんなの優しさをバネに、目指すは天空島まで黙々と歩いたのでした。
つづく
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