「おっさんのパンツ」のドラマ

この間、「おっさんのパンツ……」というドラマがあったけど、あれを父と一緒に見るようにしてた。

でも、父にとっては『ドラマの中』の出来事で、私と話すことができてる時点で『自分とは違う』と思ってしまったんだなとわかってしまった。
いや。私も無視してたらよかったのかと言えば、私が父を無視してたら、こんなドラマを見ることもないので、結局何も変わらない。

そして、父にとっては『今の時代は何かとうるさいんだよな』という感想しかなかったらしい。
いや。あのな。あなたたちの世代が無頓着で横暴なだけでだな……(ため息

たとえば、『男性がトイレで座って用を足す』という事。
これ、父の中では「なんで男がわざわざ座らなければいけないんだ。立ってするものだろう」という意見。
私が「でも、○○(弟の名前)は座ってしてるって」と言えば、「いまの時代の人間は大変だな」みたいな感想で終わった。

ちげぇぇぇぇよおおお。
「立ってしたら、汚れるし」とやんわりと伝えても「それくらい大したことないだろ」

終わってる。だから、終わってるんだよおおおおお。
弟は一人暮らしで、『自分がどれだけトイレを汚してるか』を知って、『座ってしたら汚れない』事を実感したんだよ。
父みたいに一人暮らしをしたこともないし、自分が汚したトイレを他の家族に掃除させてる自覚もない人間とは違うんだよ。

たかが、トイレ。されどトイレ。
この認識の差が、他の事でも多々あって『無視される』という事態になっている。
自分が汚したトイレは、自分で綺麗にする。という事を、教えてもらわなかった……いや。昔はぼっとんだから、掃除する必要はそこまでないのか。衛生意識の差なのか。

でも、『今の時代だから』と別世界の出来事として受け取れるのがヤバいんだって。それ、『今、目の前の事』だからね。

日常のそう言う些細なことの積み重ねで『亀裂』は深くなっていく。

おっさんのパンツはちょっと現代寄りになりすぎてて、合わないかなという部分はあったけど……それでも、いいドラマだった。最終的には『お互いに歩み寄り』になってる部分は、少し間違うと事故りそうだけど。
あの話の流れだからこそ『歩み寄り』っていう結論がいい感じになるわけで。

ただ、あのラストも父のような人たちにとっては『今の時代にわざわざ合わせる必要はなくて、向こうがこちらを理解しろよ』になってしまうんだよな。

吐きそう。

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