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日常の美しさを知ると幸福度が増す!

私は田舎町に住んでいる。
いや町というより村だ。
私の住む集落には食料品店もない。
山に囲まれた緑豊かでのぞかな田舎町と言えば聞こえはいいが、何もなく変わり映えのしない中途半端な田舎の集落だ。


窓から見える景色が美しいと感じた時

私は納屋を改修した部屋にこもって一日を過ごすことが多い。
窓からの風景は正面に山と空、その手前にある国道を走る車、川に架かる橋、橋に繋がる道の手前には踏切、そしてその手前に県道が見える。
一時間に一回程度その踏切を列車が通る。
毎日のように眺めているが何の変哲もない風景だ。

田舎の変わり映えしない日常

子どもの頃から住んでいるのでここの良さを実感することはない。
住めば都などというが、ここの良さを感じるよりも不便なことを実感するほうが容易だ。

どこを見渡しても山しか見えないが、そんな山の緑を美しいと感じて過ごすこともない。
都市部の管理された公園にある木々の方が、よほど美しいと思えるほどだ。

同じ風景の中で同じ日常を過ごしているのだから、いちいち小さな野花を見て感動することなどあるはずもない。
ここには平凡な日常があるだけなのだ。

何を贅沢なことをと思われそうだがこの感情が私の本音だ。
いや本音だった。
「大いなる山に囲まれ美しい川の流れる町」といった、日本の田舎にはよくあるキャッチフレーズもそこに住む私の心に刺さることはない。

「車がなければ買い物にも行けない不便で変わり映えしないありふれた町」と聞く方がしっくりくる。
そんなところに半世紀以上も住んでいるのだから旅に憧れを抱くのは当然だろう。

旅から学んだ日常の思い込み

車中泊で行ったことがなかった多くの町を訪ねたが、どこへ行ってもさほど自分が住んでいる町と大差はなかった。

もちろん地理的環境によって、私が住んでいる町とはまったく違う風景を見ることはあった。
青い海が見える町や、多くの観光客で賑わう町などは私の地元にはない景観だった。

しかしどこへ行っても当然のようにそこにはそこの日常があるのは変わりない。
青い海は私にとって非日常というだけで、そこに住む人にとっては変わり映えしない日常の風景と言うことだ。
そんな変わり映えしない日常に、どうすれば楽しさや美しさを感じるようになれるのかと思ったことがある。

私が青い海を見て美しいと思ったのは、積極的に美しいと感じようとしたからだ。
青い海は美しいものだという先入観もあり、美しい景色だということを感じ取ることも難しくはなかった。

しかしこれが日常なら美しいと感じただろうかと疑問に思った。
毎日海が見えるところに住んでいたとすれば、青い海があるのが当然でたまに荒れた海を見て嫌気がさしていたかもしれない。

我が家から見える山々も同じでいつ見ても変わり映えしないが、積極的に美しい山だと思って見るといつもの山と少し様子が違って見えそうだ。

尖った木々はおそらく杉や檜といった針葉樹が植わっている一帯なのだろうが、常緑樹で年中深い緑色をしている。
ところが山裾を見ると丸くこんもりした木々や、横に広がった枝を持つ広葉樹は緑も浅く深い緑色の針葉樹よりも美しく見える。

美しいものを美しいと思い楽しいことを楽しいと感じるには

積極的に美しいものを探したら我が家の窓からも見つけることができた。
変わり映えしない風景と思い込んでいたら見えなかった美しさだ。

50代の頃、川沿いの道を通って会社に戻り慌てて書類を作成していると、「桜が満開で綺麗だったでしょう」と聞かれたことがある。
桜並木のある川沿いの道を通ったことを知っていた同僚の女性からそのように聞かれてハッとした。

トラブル対応や急ぎの仕事しか頭になく、桜が満開になっていることすら見えていなかったのだ。
その時は美しいものを美しいと思って見ないと、その美しさを感じとることもできないんだと思った。

美しい景色だけではない。
楽しさも同じことだろう。
楽しいことを積極的に楽しいと思わずやっていても楽しいとは感じないということだ。

例えば日常になっている仕事も、生活のために仕方なくやっているのでは楽しいはずもない。
毎日書いているNoteも仕方なく書いていたのでは楽しくはない。

積極的に楽しいと思うことこそが楽しいと感じるコツなのだろう。

何の変哲もない変わり映えしない中途半端な田舎の集落で暮らしていても、積極的に美しいと思うものを探さない限り美しいところだと感じることはないようだ。

そのことを知ってからは、日常的に目に入る風景も積極的に観察して美しいものを探すよう意識するようになった。
窓から見える風景も積極的に美しい一瞬を探すように心掛けているのだ。

踏切が鳴り出すと無意識に窓の外に目が行き、オレンジ色の列車が通り過ぎるのを待ったりしている。
何でもないありふれたそんな情景も最近は美しく切り取れるようになってきた。

誰もが公平に与えられた時間を過ごしているのだから、美しいものをたくさん見た方が幸せなのは間違いないだろう。
それと同時に楽しいことも同じだ。

毎日美しいものを見て楽しいことをやっている私は幸せ者だ。

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