見出し画像

さよならだけの人生に


 こういうものは、まず書き出しで悩むことになる。挨拶から始めるべきか、それともいきなり本題にはいるべきなのか。ただただ無味乾燥的な言葉を連ねればよいのか、ちょっとしたユーモアをみせるべきなのか(そんなもの僕は持ち合わせていないけれど)、散文的であるべきか、詩情を入れ込むべきなのか。読者を意識すれべきなのか、あるいはただの捌け口でよいものか。

 モヤのかかった頭の中から、伝えたいことを探し出して、それを文章の形に整える――それも読みやすく、面白いようにする――ことはとても困難だなと感じる。
 伝えたい気持ちを思うように探し出せなかったり、間違った角度から取り出してしまったり。言葉にうまくできなかったり、伝えたいものとは違うものが生まれたり。
 感情を言葉に変える過程の中で、「あいまい」に輪郭を与えていく中で、語彙の網では掬えなかった思いのかけらが、実は何よりも重要であったり。

 でも結局悩んでいても答えは出せないわけで、結局自己流に書き始めるのだけど、「これでいいのかな」という不安感は最後までぬぐい切れない。

 それはもうあきらめるしかないのだろう。だから、とりあえず、僕は自分の思いの丈を、ただただ散文的に、ただただ自分のしたいように語ろうと思う。

 だから、きっと読んでいて苦痛だろうし、退屈だろうし、つまらないかもしれない。もちろんいつでも読むのはやめてもいいし、それを引き留めることはしない。ただ、最後まで読んでくれたらうれしいな、なんて、なんて、そんな風には思っている。


 noteのアカウントを作成して、書きたいことはたくさんあったけれど、それでも最初のテーマは、自分が一番伝えたいことであるべきだと感じた。

 それは、みんなへの感謝の思い、だ。

 みんな、というのは、これを読んでくれている、あるいは読んでいないかもしれないけれども、とにかくTwitterのフォロワー達のことで、まさに貴方への言葉なのだ。
 僕はこれまで僕とつながってくれたすべての人に――いまつながってくれている人たちから、いまはもういなくなった人たちに、貴方に、どこかにいる彼に、名前も知らない友人たちに、僕は「ありがとう」を伝えたい。

 それが僕がこれを投稿する意義なんだろうな、となんとなく思う。

 僕は僕にとってTwitterを始めたことはプラスになったと感じているし、自分を客観的に見ていいふうに変わるきっかけになったと実感している。
 (Twitterは、時間の無駄であるとか、見ていて気が滅入るだとか、悪いように言われることが多くて、きっとそれもある側面では事実なのだろうけれど)


 そしてそう感じられるのは、多くの部分でフォロワーのおかげなんだろうなって思ったりしている。だから、ほんとは一人一人にありがとうといいたいのだけど、それはそれで気味が悪いだろうし、これを読んでいる人(いるのかはわからないけれど)はおそらく自分とは付き合いの長い人であろうし、その人たちに少しでも気持ちが伝われば、自分は満たされると思うのでここに書くことにした。

 まあつまるところ単なる自己満足なのかな?

 Twitterには生身の感情が転がっている、と僕は思っている。整頓されていない、多分きっと誰にも見せたことのない剥き出しのままの魂が、出来合いの言葉の衣をまとって、使い捨てていくように投稿されては消えていく。死にたいという言葉、つらいという感情、誰にも言えない悩み、外には出せないどろどろとした心の部分。涙よりも直接的な感情を、青い鳥はどれほど届けてくれたのだろう。電子の世界はある意味で現実よりも直情的だ。

 そんな世界だからこそ、僕は素直になれたし、たくさんの気持ちを吐けたと思う。心だけが存在していた世界だから、そこを通してつながった人たちとの関係性も、これまでの人生ではありえない形のものが多かった。希死念慮を前提とした会話、障害を意識した関係、悩みやコンプレックス、生きる苦しみの共有、名前も知らない人の、苦しみの内容は、きっと友人たちより知っている。奇妙な関係性。

 そうして露わにされた「痛み」が自分の中に流れ込んで、時にはしんどくなったりもしたけれど。あるいはその逆もあったりしたけれど(それはまた謝るね)

 このつながりのぶんだけ、僕は世界にやさしくなれた。世界にやさしくなれたぶんだけ、僕の心は満たされた

 だから、僕はこのつながりを、ずっと大事にしたいな、なんて思っている。



 でも、こういったコミュニティは、いつまでもとどまっている人なんて少数で、時間と共にどんどん消えていって、いつかは僕も離れていくのだとも、また思う。

 いまはたくさんお話したり、あるいは遊んでくれたりしてくれてても、きっと人生の結節点が存在しないネット上の関係性は非常にもろくてうすい。いずれなくなってしまうのが自然なのだろう。寂しいことに。

 でも、それでも、僕はみんなとつながれて幸せだったし、だからこそ、今仲良くしてくれている貴方とは、この縁をなくしたくないな、なんて思ってしまう。

 だから、あらかじめ言っておくと、月に一度?いや、年に一度でも、あるいはもっと遠くでも、僕はまた連絡を取りたいし、多分とってしまう。

 貴方はそれに返してもいいし、返さなくてもいい。でも、それでまたお話ができたら、自分のこの先の人生の希望になるな、なんて思ったりしてしまう。そこで、またいつか飲みにでもいけたら、そこで、あれからなにがあったかなんて話ができたら、とても幸せで素敵なことだなと感じている。


 まあ、つまり、この駄文全体通して何が言いたかったのかといえば、いろいろ意味のないことも書いたけれど、実はすごく単純な話でしかない。

 繋がってくれてありがとう、これからもずっと仲良くしてほしいです――それは、きっとTwitterから離れた後だって

と、それだけなのだ。


 とりあえず、もしよかったら今度遊びませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?