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「賤」の反抗

4月ごろからコンビニのバイトを始めた

働く前はレジ打ちのイメージしかなかったけど働いてみると意外とやることが多くて

レジ打ちはもちろん店内・店外清掃、ゴミ袋の交換、検品、品出し、フェイスアップ(商品の陳列)、コーヒーマシンの清掃、フライヤーの揚げ物の調理、廃品処理、レジや金庫の点検…覚えることはいくらでもある

この仕事の中で配送センターから大量の商品が届いて、それを検品登録して棚に並べて売ってその結果をまとめて印刷して…という作業をしている中で私は確かに「物流システムの末端を担っている」という実感が湧いたし、そこにやりがいを強く感じられるようになった

でも、大学の友達にコンビニで働いているというと「なんでコンビニ『なんか』で働くの?」と聞かれることがある

きっとそこに悪意はない

家庭教師のバイトの方が時給が高いし、居酒屋のバイトの方が時給こそ高くないけど賄いが出る分お得だ

きっと「もっと給料が高い/割りのいい仕事があるのになんでコンビニを選んだの?」っていうそれだけの意味

でもコンビニ「なんか」というその言葉に強い職業差別を感じるし、そこに反発を覚える

何もコンビニバイトに限った話ではない

コンビニバイト、清掃員、工事作業員…これまでにいろんな職業の人が時に『底辺』などという強い言葉まで使われて下に見られているのを目の当たりにしてきた

「職業に貴賎なし」なのに…

でも、ふと思った

私は(きっと多くの人がそうであるように)昔から「お医者さん」とか「弁護士」とか「総理大臣」とかは偉いと思って生きてきた

これが親の教育の影響なのか学校教育の影響なのかはたまたテレビの影響なのかは分からない

でも、そういった職業を「偉い」としている私は無意識のうちに職業差別のようなものをしているのかもしれない

でも、職業に貴賤はない

確かに「貴」はあっていいと思う

高いスキルを必要とする仕事はなり手が少ない、確かに貴重ではある

でも、「賤」はない

社会を大きな一つの機械としてとらえると様々な職業に就く一人一人の個人は歯車だと思う

どの歯車が欠けても機械は動かない

(こういうことを言うと傲慢かもしれないけど) 私たちコンビニのアルバイトがいなければ総理大臣も弁護士もお医者さんも今よりだいぶ不便になる

清掃員さんがいなければ国会議事堂も弁護士事務所も病院も不清潔になる

この世がうまく回っているのはすべての職業に就く人間のおかげだし、ある職業に就く人がある日急にその仕事を辞めたら絶対にどこかにガタが来る

この世を弁護士、お医者さん、コンビニバイト、清掃員という4人だけの世界にしてみると

弁護士は他三人の間に問題が起きたときにそれぞれの人権を守ってくれる

お医者さんは他三人が病気になった時に治療して全員の健康を守ってくれる

コンビニバイトは他三人に食べ物や飲み物、日用品を供給することで全員の健康的、文化的な生活をサポートする

清掃員はその世界を掃除することで全員の衛生状態を良好に保ってくれる

それぞれがそれぞれを支えているし、だれか一人がいなくなったとたん、何らかの問題が生じる

だから、私はこの世に存在するすべての職業が必要なものだと思うし、それぞれの職業につくすべての人間が必要な人間だと思う

だからこそその中でどの職業についているかでその職に就いている人の価値を判断するなんてとんでもないことだと思うし、給料が高い仕事というのはそれだけ責任が重いというそれだけの話

私が将来就きたい職業が世間からどう見られるかわからない

「貴」とみられるかもしれないし「賤」とみられるかもしれない

別に下に見られてもいい。「賤」でもいい

でもその私がいなければきっと社会は回らないしみんな困る

そんな自信をもって必死に生きていく

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