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訪れた機会


人生、無駄な努力も、無駄な時間も、決してないのだと思います。
メディアに取り上げられるために奔走したことも、無駄にはなりませんでした。
個人の写真集を作っていた当時、経費も出ず、そしてリピート性もあまりない事業であるため、家賃も払えないような状況が続きました。
そんな時に産経新聞に、
「たった一冊のあなたの思い出写真集を作ります」
という記事が載ると、ある教材メーカーの社長さんとのご縁が繋がりました。
「全国には、卒業アルバムを持てない子供たちがいるのを知っていますか?」
こう仰ったのです。
少子化や過疎化で、3~5冊のみの少ない数を作れる会社が無いのだと。一生の宝物になる卒業アルバムを持てない子どもたちがいることは、とてもショックでした。
「あなたのところ、一冊でも作れるというなら、作ってくれませんか?」
そう言われ、子どもたちに宝物を持たせてあげたいと、そんな学校に向けての卒業アルバム事業がスタートしました。
事業の中心を卒業アルバム作りにすえ、現在の卒業・卒園アルバムの会社である夢ふぉとのひな形ができました。当時個人のアルバムを全国展開していたために自作の制作キットがあり、これをカスタマイズしてやっていくことにしました。
当時、地域密着型のビジネスをネットで全国展開しているところはなく、そこに目をつけてHPを知り合いに依頼して作りました。インターネットによる拡散は功を奏し、売り上げは一気に上がりました。島や村や分校からの依頼がたくさん入るようになり、結果として当時、社員2,3人で売り上げ1億にまで到達しました!
それからも一切手は抜かず、たった一人を絶対に切らないという精神で、サービスの質を徹底的に掘り下げました。少しの不備でも採算度外視で全冊すりなおすなど、他社ではやらないようなレベルのお客様対応も行い、子どもたちの一生の宝物に対して真剣に向き合いました。
一方で、ここでしか買いたくないと思っていただけるような、我々の思いを込めたHPを作り、Yahoo!やGoogleの一番上にくるようなSEO対策などの工夫も毎日行い、広告、集客も軌道に乗りました。
そこからは高いリピート率、高い顧客満足度を維持し、お礼状の嵐でした。こんなにも喜んでくれる人たちがいることが、本当にうれしかったです。
我々は売り上げを追い求めるような同業界の他社と交わることなく、”思い”にフォーカスして、自分の道を進んでいきました。
創業当時天から降ってきた言葉。それは、「温度のあるものづくり」という言葉。
ただ形だけのものを作るのではない。思いのこもった、人の温もりを感じる事の出来る温かなものを提供すること。これが、今も変わらず、ずっと私たちの使命なのです。

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