見出し画像

夢ふぉとの創業


給料の話は出てきましたが、私は当時から、お金が欲しいがために会社を立てたのではありませんでした。もしそうであれば、もっとすぐに売れるもの、お金になりやすいもので創業していたでしょうね。
●創業のきっかけは おばあちゃん!
私は昔から、若い女性が好むファッション誌よりも、哲学書や自己啓発本などを読むことが多かったのですが、いろいろと読んでいるうちに、ふと気づきました。
「あれ?ほとんど、おばあちゃんが言っていたことと同じようなことが書いてある!」
そしてこう思いました。
「本屋さんにおばあちゃんの本が売っていたら良いのな~。」
だけど、ただの滋賀の田舎の、誰も知らないようなおばあさんが、本を出すことは、厳しいです。そんなことを考えていたとき、こう思いました。
「たった一冊でも良いからかけがえのない大切な思い出を、私みたいに残したいと思っている人がいるはず!その人たちに、私は、何かできるのではないか?」
この、かけがえのない思い出の一冊を残してあげたい、という思いが、夢ふぉとを始めるきっかけになりました。
そもそも、一冊なんて、儲かるものじゃありません。だから、他にやっている企業はありませんでした。
しかし、この事業を求めている人たちが、そして喜んでくれる人たちが全国にいるという確かなイメージを持つことができたんです!
やらないわけにはいきませんでした。
●創業当時の苦しい日々
夢ふぉとを初めて2年間は、ご飯も食べていけないような状況でした。
心斎橋の窓もない狭い暗い一部屋を借り、机1つ電話一本3万の家賃から始めました。OLの時に貯めていた700万円は半年で消え、創業2年目で人生で一番貧乏になりました。
それでもがむしゃらに、助成金や、知り合いの助けも借りながら、ようやく食べていけるくらいにはなりました。
たった一人、小さな小さな会社。宣伝のための広告費すらも高くて、工夫をしないとダメでした。当時はSNSなんかありませんから、何とかして発信して、世の中に知ってもらわないと!という強い気持ちで、マスコミ電話帳を買ってきて、雑誌や新聞など、取り上げられたいメディアにとにかく片っ端から自筆の手紙を書いては送っていました。強く願う気持ちが通じたのか、ついにメディアにも取り上げられるようになり、無事、宣伝はできたはずなのですが…それでも利益を計算すれば赤字。メディアに取り上げられても、それでも立ち上がらない事業があるという現実を、突きつけられました。
そんな中、7歳の女の子を亡くしたお母さんに、その子の思い出アルバムを作らせていただく機会をいただきました。完成品を見たとき、その方は、涙を流して喜んで下さり、
「このお仕事を、ずっと続けていてくださいね…!」
と。
何度も会社をやめようと思いましたが、そのときの言葉のおかげで、今でも続けられています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?