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怠惰な会社員のプロローグ

昔から文章を書くことが好きだった。

交換ノートに始まり、退屈な授業中A4ルーズリーフびっしりに書いた友人への手紙、ガラケーで作ったホームページ、mixi、Twitter、Instagram…
年齢がバレそうだが、その時代に流行った様々な媒体で私はたくさんの文章を書いてきた。

もちろん趣味の範囲なので全く上手くはない。
ただ自分の考えを正しく伝えるにはどう書くべきか考える時間も好きだったし、
自分なりに上手く形にできると達成感のようなものを感じた。

そんな文章を書くことが好きだった私だが、
大人になるにつれ手紙を書くことはなくなり
周りの友人たちが徐々にSNSから離れて行くにつれ私も投稿することが減っていった。

そんなに書くことが好きなら日記でも書けばいいのだが、これまでの人生で何度試みても日記は全くもって続かなかった。

そこでようやく私は「見てくれる人がいる(かもしれない)ところで」書くことが好きだったのだと気付いた。
この(かもしれない)というのがミソで、宛先の有無や閲覧人数・コメントやいいねなどの反応は私にとってそこまで重要ではなく、見ている(かもしれない)誰かに向けて文章を綴るのが好きだったらしい。
※LINEは基本短文なのでここでは触れない

SNSで文章を綴ることが減ってからは文章を書く機会というと仕事くらいしかなくなったが
プレゼン資料に文字をたくさん書くと怒られたし
メールを丁寧に書くとCCに入れた上司から「丁寧だね」と皮肉混じりに苦笑された。

ビジネスの場において長文は不要なのだと気付くのには1年もあれば十分だった。
ますます文章を書く機会はなくなっていく。

でも、考えることがなくなったわけではない。
仕事や家事に忙殺される日々の中でふとした時に
何か一つのことについて思考してみる。
自分の感情の理由を探ってみる。
日常で起こった体験を反芻してみる。

それらを誰かに伝えるとしたら自分はどういう言葉を紡ぐかを考える。
そういう時間はやはり今でも好きだ。

そういうものを気まぐれに書き出せる場所があるといいなと思い、noteを始めてみた。

「思考をする」などとかっこつけて書いてみたが
ほとんどがどうしようもないくらい些細なことばかりだ。

ふと目に入ったニュース、誰かのツイート、周りで聞こえた会話、自分の感じたこと、見たもの、食べたもの、触れたもの。

そんなどうしようもないくらい些細なことをランダムにひとつ取り出して
じっくり考えてみたり言語化を図ってみる。

いつか私が死んだ時、誰かがこのnoteを見つけて
「こういうことを感じて、こういう思考をする人間だったのだな」
となんとなく知ってくれたらうれしいと思う。
もちろん誰にも見つからなくてもそれはそれで良い。

自分の生きた証として、見てくれている(かもしれない)あなたに向けて、私の日常の些細な出来事や、考え・感情の揺らぎ、単なる思い出などを少しずつ自分の言葉で記していきたいと思う。

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