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バケモノの子を見て感じた違和感

金曜ロードショーで”バケモノの子”を見た。

映像はきれいで、ストーリーに関しては映画を見慣れている人にとってはありきたりと感じることもあるのかもしれないが、自分にとっては十分に飽きることなく2時間楽しむことが出来た。

ただ、映画の中で一点だけ違和感を感じるシーンがあった。

それは、「バケモノは神様になれるほど強い存在だから、心に闇を持たない。一方、人間は強くなく、心に弱いモノを持っているから危険だ。」と言うのだ(誰が言ったかは忘れた。。)。

人間は強くなく心に闇を持つ、というのはおそらく正しいと思う。しかし、「心が強いからといって心に闇を持たない」というロジックは納得できない。

劇中で見る限り、バケモノが人間に比べ強い点は、身体的な点だけ。神様になれるバケモノもほんの一部だけ。バケモノ界の長になった人がやっとなれるもので、ごく一部でしか無く、その他一般のバケモノたちはいつか神様になれるという考えすら持ってないだろう。
尚、バケモノ達は一見余裕を持った立ち振る舞いをしているが、人間を差別するバケモノもおり、精神的に強いという風には感じない。

ということは、劇中のロジックに従えば、我々人間はバケモノのようにからだが大きくなり、身体的な争いに強くなれば、心の闇が無くなると言うこととなる。

実際そうだろうか?この近代、一部スポーツ選手等を除いて、体が大きく、筋肉隆々であることがプラスに繋がることはほとんど無いと言って良い。

もし自分がムキムキで誰にも争いで負けない体となった後、心の闇はなくなるだろうか。いや、無くならない。
きっと「あの人は仕事がデキる。。うらやましい」「この人は頭の回転が早く尊敬されている、、うらやましい。」「(祈る自分は嫌だけど、、)なんかしょうもないミスしないかなぁ。。」なんて思ってしまう瞬間が必ず訪れるだろう。

心に闇を持たない存在になることは、どれだけ高みを極めた方でも、難しいのではないだろうか。

体を鍛えるだけで、心に闇を持たない聖人になれるなら、すでに世の中は聖人であふれている。

自分の考えでは、心に闇を持たない存在などないと思う。その闇を持ってしまう自分を客観的に理解し、コントロールすることが重要なんじゃ無いだろうか。その闇をコントロールする力を手に入れる為にはやはり、劇中のように、仲間や友人が必要なんだろうか。非常に難しい課題。

いつか私の尊敬する古美門先生(ドラマリーガルハイに出てくる弁護士)の名言である、「醜さを愛せ。」という言葉を思い出した。

世の中の道を極めたを思われる人たちが、薬物に溺れたり、人を侮辱する様な発言をすることは意外と起こっている。

自分の中の闇、醜さを理解することで、バケモノの様な力を手に入れなくても、強い存在になれるんじゃ無いだろうか。まずは自分に醜い点があることを紳士に受け止めることから始めよう。

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