たぶんいい人ではない

私の中に残る罪悪感が、この文章を書かせている。罪悪感を原動力に書いても、ろくなことはない。でもやっぱり、書かなければいけない。


2年前、いくつかの誓いを立てた。

・会いたい人には、すぐに会う。
・何があろうと、ハラスメントにつながりかねない行為はしない。
・出来ない約束はしない。

僕にとっては特別な意味を持った誓いだ。誓いを立てた理由を説明するには、一人の知人について語る必要がある。

何度か会って話しただけだから、友人と言える資格があったかも怪しい。だから知人と書く。


話の内容の大半は、仕事の愚痴だった。週末の夕方ですら、知人は会社の「社長」からひっきりなしに電話を受けていた。とにかくそんな会社はやめた方がいい、仕事ならいくらでもある、と僕は言った。本当にそう思っていた。

頭の回転も早かったし、人当たりも良かった。SlackやらTeamsやらExcelやらも使いこなしていたし、事務処理能力も高そうだった。

それからしばらくして「辞めた」という報告が来た。それはいいことだ、と思ったし、そう返信した。本当にそう信じていたのだ。


「仕事を紹介してほしい」と頼まれて、「いい仕事があったら紹介する」と答えた。

嘘をついたわけではない。「いい仕事があったら」本当に紹介するつもりだった。でも、そんなものがその辺に転がっているわけもない。多分紹介することにはならないだろう、と気づいていた。

その頃から彼女のTwitterは荒れ始めた。酒量が増え、体調も悪化していった。心配していたが、自分に出来ることはなさそうだった。

それでも、どうやら内定を得たようだった。「おめでとう」と返信した。その話を聞いたとき、自分の中の罪悪感が少し薄れた。「紹介出来ていなくて申し訳ない」と形式的な謝罪をした。


それからしばらくして、彼女は「死にます」と投稿し、やがて連絡は途絶えた。

その日ずっと、自分で遺言とも言える言葉をツイートしていた。だから、多くの人が彼女に声をかけた。でも、最後に、永久に苦しみから解放されることを選んだ。LINEもTwitterも、二度と帰ってこなかった。

数日後、近しい方と連絡を取り、想像が事実であったことがわかった。


彼女は内定先の人事からデートに誘われたり、電話することを求められていたようだった。そして最終的に内定辞退をせざるを得なかった。立派なハラスメントである。

名も知れぬその「人事」の人は罪悪感に苛まれているだろうか。いや、きっとそんなことはすっかり忘れてしまっているか、気づいてすらいないんじゃないか。そんな気がしている。

自分が子供の頃、セクシャル・ハラスメントというのは戯画化された流行語だった。それは笑い飛ばせるようなレベルの「何でもない」だと思っていた。でも、そうではない。そうではないのだ。

人はそういうことで、生きる気力を失ってしまったり、決定的に損なわれたりするのだ。そのことを僕は学んだ。


でも、結局のところ、「本当の」理由なんて分からない。ダムに水が溜まって決壊したとき、最後の一滴だけに責任があるわけではない。

最後の日、ツイートで知人は「色んな人に裏切られて、騙された」と書いていた。「色んな人」に自分は入るのだろうか。自分がそのダムに溜まった水の一滴でなかったのか。


それ以来、自分に何らかの責任があるのか考えてきた。今も考えている。答えはよくわからない。人の死は沢山の答えられない問いを残す。

「何かを変えられた」と思ってしまうのは傲慢なのかもしれない、とも思う。僕のことなど覚えていなかったかもしれない。

でも、同じ後悔をしないために、誓いを立てた。会うべきときに、会うべき人と会う。ハラスメントをしないこと。それから、「やる」と言ったことは本当に「やる」ことだ。

守れているかはわからない。努力はしている。

それまで僕は、自分のことを基本的には「いい人間」だと思っていた。でも結局のところ、人の善性というのは、生まれながらにして決められるのではなく、行動によって決められるのだ。

自分に生まれながらにして善性があるというような傲慢な考えは捨てることにした。悪は何もしないことの中にもあるが、善は行動にしか存在しない。


二年前を振り返ると、こんな出来事はすぐに忘れると思っていた。二、三回あっただけの知人なんて、何千人の単位でいるのだ。大体、僕は彼女のフルネームすら覚えていない。

それでも、罪悪感は僕の背中に張り付いてずっと離れなかった。多分それはもう取れないだろう。自分の一部になってしまったからだ。

著名人が同じ選択をするたび、その罪悪感は何度も自分を刺した。だから、僕はこの文章を書くことにした。年月を経ても、消えない。


既に知人の記憶は曖昧である。でも、最後にそれを記しておきたい。確か、最後に目にしたのは、目黒かどこかの改札口だった。「また会おう」と口にしたと思う。嘘ではない。会えればいいし、いつかどこかで会うこともあると思っていた。

でも、この広い世界で、大都市で、二人の人間が会うためには、互いが意識的に、能動的に、会いに行かなければならない。それは簡単なことではない。


固い決意もドラマチックな別れもない。ただ、二度と会うことがない。今まで僕が出会ってきたたくさんの人も、同じなのだ。

会いに行かない限り、大抵の人とは、二度と会うことがないのだ。みんな、僕らの周りから消えていってしまう。遅いか早いかの違いはあっても。

あの日あの改札口で、「また会おう」と口にしたのが、永遠の別れだと気が付かないまま。


励みになります!これからも頑張ります。