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グッバイの歌詞をŧ‹”ŧ‹”

はじめましてゆうまと申します。
6.5thで見た「この気持ちを言葉にして」のところの土屋李央さんがいつまでも忘れられない悲しきオタクです。
始めてノートを書いてみました。
オタクのポエムなんて見たくねぇよ!って方は読まない方がいい事を先に言っておきます
それでは、読む人は共感性羞恥に震えながらお楽しみください。


「誰よりも近くに いると思っていたんだ
だけどほんとは誰よりも 僕は遠い存在で」

“友達”としては誰よりも近くにいる。けれど本当に望んでいる“好きな人”“恋愛対象”として見ると誰よりも遠くにいる。近すぎて、隣にいるのが当たり前で、だからこそ視線はこちらを向かなくて...
関係を表す名前が変わったらこんなにも距離が違うなんて、という捉え方をしました。
言い回しがとてもエモくて僕はここが大好きです

「君に気づかれないように 冗談ぽく笑ってみせた」

ここで「僕」が抱くこの思い、感情は「君」には知られたくないんだというのが分かります。めちゃくちゃストレートな歌詞なので言うまでもないとは思いますが、めちゃくちゃ胸焼けしそうなくらい複雑〜〜〜〜〜〜!!!!となりました

「友達以上 恋人未満 僕らは出会った日から きっと ずっと」

友達以上恋人未満。近いけど、遠い。でも本当に他の誰よりも近いんだ...と。
この先もここまでしか進めないと思うっていう諦めも少し見えるかな...?苦しいですね...

「特別から当たり前に 変わってゆく君だけが 僕を残して」

「君」の中の「僕」は特別な友達から当たり前に一緒にいる友達に、どんどん慣れて変わっていくのに
「僕」の中の「君」はいつまでも特別でずっと変わらずこの感情に慣れるなんて出来なくて...って感じでしょうか

「君」の“特別“でありたい「僕」と「僕」の”特別“である「君」
その”特別“に執着してるのは「僕」だけなんだという苦しさ...しんどいしんどいね...

「誰よりも近くに いたから分かっちゃうんだ
君のその視線の先に いつも僕じゃないあの子」

ぬぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
誰より近くでいつも「僕」の視線の先に居た「君」。でも視線が交わることはなく、「君」の視線の先にはいつも「あの子」が...
ぬぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

好き♡を視線って言葉にするのエモすぎんだろ〜〜〜〜〜〜56せ〜!!!俺を56してくれ〜!!!

はぁ...青春にあてられてとても苦しいです...
好きな人の好きな人がわかっちゃうの、苦しいよな...わかるぜおい...

「平気なふりをしてみても 強がり気づいてほしかった」

やっぱ気づいて欲しいんじゃん...好きな人に好きな人がいるのわかったら焦るもんね...うんうん(おじさん)

「そんなふうに笑うんだね あの子の前だと ねぇ 僕の知らない 君の笑顔 眩しくてさ 苦しくてさ 焼き付いて離れないんだ」

もうつれぇよ...そのまんまですねここは本当に
誰よりも近くでずっと視線の先には「君」がいたはずなのにそんな笑顔は知らなくて、見たことなくて。
その「僕」じゃない「あの子」に向けられた「君」の眩しい笑顔が忘れられなくて、ずっと頭の中にいて。く、苦しすぎない?💦

「この気持ちを言葉にして 伝えてしまったらね きっと 全部 音を立てて壊れてしまう」

もしかしたら...言葉にしたら...なんて事は無くて。だって誰よりも近くで見てきたから。知ってるから。「君」は「あの子」への思いを貫き通せる人だ、って。「僕」にその視線は向けてくれないって。そう、

「だから鍵をかけたんだ 綺麗なままで」

このまま壊れるくらいなら好きの気持ちが綺麗なまま別の何かにならないように鍵を閉めよう...
苦しすぎない?(2回目)

「大好きだよ 大好きだよ グッバイ」

このグッバイ、最初は気持ちに鍵をして大好きだよって心の中で叫びながら距離をとる物理的な距離のグッバイだと思ったんです。でもそれだと気持ちに鍵をしてでも壊したくない、誰よりも近くって関係を自ら手放すことになるからおかしいな...?ってなって...気づきました
このグッバイはこれまで書かれてきた全ての感情、気持ちを「大好き」って名前に変えてその大好きという気持ちに大して”グッバイ“って事なんですね。優木せつ菜かな?...エモいって。

だからこそ、その先を考えた時「君」の望みが叶ったら誰よりも近くっていう唯一の拠り所さえ消えてしまうんじゃないかと考えると少し悲しいですね...

はい、そんな訳でオタクのポエムみたいな歌詞ごとの感想でした
冷静になって今すんごい穴があったら入りたいって感じです...読むな...誰もこれを読むな...でも読んで欲しい分かち合いたい...苦しいぜおい...

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