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能ある鷹は。


ボクは、去年の夏頃から「Himalaya」というサービスを使って、
ラジオ風の番組を配信させてもらっているのだけれど、
この番組を始めるとき、できるだけ完璧を目指さないように心がけていた。

なぜなら、
「最初から気合を入れすぎると続かない」
という、自分の特性を熟知していたから。

具体的にいうと、

・録音はiPhoneのボイスメモを使う。
・録音した素材には、編集を入れない。

という2点を徹底していたのだ。

これなら、録ろうと思ったときにサッと録れて、
そのまま「録って出し」でアップロードができる。

このボクの目論見は見事に当たり、
始めてからもうすぐ半年になろうとしている現在、
毎週続けることができている。(ごめん、正月は休んだww)

しかし、人間、
続けていると気持ちが載ってくるもので――

欲が出てきたボクは、
今年に入ってから、編集を入れるようになった。

すると、

オープニングに曲を入れてみよう――
重要な部分にエフェクトもかけてみよう――
じゃあ、そうなるとエンディングにも曲を――

とまあ、これが沼。

一度手を出したが最後、
アレもコレもと、止めどなく欲が出てくる。

最終的には、
割といいお値段がするコンデンサーマイクを
アマゾンで検索している自分に気付き、

「ハッ! オレは一体、どこへ向かおうとしているのか……?」

と、我を失なっていたほどだ。
(ちなみに、このマイクは購入した)

そんなこんなで、
完成した番組を聴いてみると、ちょっとしたものになっていた。

まあ、ボクの喋りの技術は置いとくとして、

「え? これもうプロじゃね?」

と、自画自賛しだすボク。

まー、心で思うだけなので、
「プロをナメんじゃねぇぞボケが!」
という言葉は飲み込んで欲しいのだけれど――

このあと、
ボクは自分の中の、意外な声を聴くことになる。


「やばい、このままじゃあ……できる人だと思われてしまう


できる人だと ”思われてしまう” ということは、
できる人だと思われると、不都合が出てくるということ。

普通、できる人だと思われた方が都合が良いような気がするけれど、
ボクの中から出てきたのは、全く真逆の声。

ボクは、この声に、戸惑いを覚えるとともに、
どこか懐かしさも感じていた。

きっと、これは自分の中にある、
「成仏しきっていない気持ち」だ。

この機会を逃してはいけない。

そんな直感もやってきたので、
ボクは徹底的に、この声と向き合うことにしたのだった。



子どもの頃、ボクはかなり勉強が出来る子どもだった。

小学校のテストは、ほぼほぼ100点。
調子が悪いときでも、80点を切ったことは数えるくらいしかない。

頑張って勉強していたワケではなく、
普通に授業を聴いていれば、このくらいの点数を取ることは、
ボクにとっては普通のことだったのだ。

「じゃあ、さぞ苦労しなかったのだろう」

と思うかもしれないのだけれど、
実は、そんなに良いことばかりではない。

なぜかというと――

母親に褒められなかったのだ。

100点を取るのが当たり前になってしまうと、
90点代でもシブい顔をされ、80点代をとろうものなら、
なんでこれしかとれないのか、と責められることもある。

つまり、
「絶対に1問も間違えられない状態」が、ずっと続くのだ。

大人になった今なら、
人間の心理として、そうなってしまうのは仕方がないとは思う。

しかし、
母親に褒められたい盛りの、このくらいの時期の子どもにとって、
これはなかなかの地獄だった。

1問でも間違えたらアウト、
それに引き換え、上限は100点なので、加点のしようがない。

どう考えても詰んでいる。

それに比べて、まわりはどうだろう。

普段、30点40点ばかり取っている子が、
60点を取ろうものなら、めちゃめちゃ褒められるのである。

誕生日でもないのに、ゲームソフトを買ってもらった子から、
「テストで頑張って60点をとったから買ってもらった」
という話を聞いたときは、愕然としたものだ。

(当時のゲームソフトは、1本1万円近くし、
誕生日やクリスマス以外に手に入れるのは難しかったため、
当時の子どもは、アレやコレやと手を尽くして買ってもらったのである)

なんで、
できないヤツが、ちょっと頑張ったら褒められて、
もともとできるボクが、こんな目に遭わなければいけないのか。

いつも30点で、ときどき頑張って60点よりも、
いつも100点のほうが、どう考えたって良いはずなのに。

頭の良い子どもだったボクは、
こうした「正しさ」には気がつけるのだけれど、
世の中は「正しさ」だけじゃないということ知るには、
まだ幼すぎた。

「最初はダメだったものが良くなる」方が、
「最初から良いこと」に比べると、人の印象がよくなる。
(いわゆる、不良が雨の中、捨て猫に傘を差している現象)

ということには、どうしたって思い至らなかったのだ。

なんだかマジメに生きるのがバカらしくなったボクは、
このあとも、テストのための勉強というものは、ほぼほぼしなかった。
(一応、学校には行っていた)

それでも、高校まで推薦で入学でき、
大学の推薦まで取れる状態だったのだから、
自分の生まれ持ったものに感謝すべきなのだろうけれど、
ただただ、煩わしいだけ。

結局、ボクは大学には進学しなかった。

これ以上、学生生活を続けることに、
なんの意味も見いだせなかったのだ。

ボクが選んだのは、

「声優の専門学校」

全てにおいて、
自分には何の才能もなく、適性もなく、
持っているスキルが何も通用しないない世界は、
とても魅力的に見えた。

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