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負のチカラの使い方。


負のチカラは、ときに、ものすごい力を発揮する。

「負のチカラ」っていうのは、

怒られたくない、見捨てたれたくない、
嫌われたくない、バカにされたくない。

そんな、
ネガティブな感情から生まれるチカラのことね。

テレビなんかを観ていると、
「学生時代に、自分をいじめていたクラスメートを見返したい!」
みたいな感じで、
ネガティブな感情をバネに成功したって話もよく聞く。

そんな風に、負のチカラというのは、
爆発的な勢いを生み出す効果があるのだ。

しかし、
「これを継続していける人」
というのは、選ばれた人だけだったりする。

例えば、
芸能人だったり、アスリートだったり、アーティストだったりね。

負のチカラを使いこなすのは、一種の才能だといえるだろう。

だから、ボクらフツーの一般人が、
これを継続して使っていくのは、なかなかに茨の道なのだ(笑)

これからする話は、
そのことに気づかなかった、ある若者の話――

というか、
いつものように、フツーにボクの昔話です(笑)



ボクが10代〜20代の頃、
主な原動力は、まさしくその「負のチカラ」だった。

どうか、
怒られませんように、嫌われませんように、
みんなの足をひっぱりませんように――

あの頃のボクは、
「他人からの拒絶=死」
と言っても過言ではなかったので、それはもう、途轍もないチカラとなった。

そして、どんなチカラを使おうが、
周りの目に見える「結果」は同じなワケで。

ここで評価されてしまったのが、
このあとに続く地獄の始まりだったのかもしれない。

ボクは、
「自分のやっていることは正解なんだ」
と思い込んでしまったのだ。

この道をそのまま進めば良い。
この道こそが正しい。

もっともっと。
もっと力を。

自分を殺し、ガマンして、
苦しくても、倒れそうでも、
努力、努力、努力……

そうして、
その全てをチカラに変えて行ったのだった。



類は友を呼ぶとは良く言ったもので、
そんなボクにも、慕ってくれる後輩ができた。

劇団にいた頃の後輩で、仮にA君としておくけれど。
付き合いを重ねていくうちに、どうやら彼も、
かなり辛い学生時代を過ごしてきたらしいことが分かった。

いじめに遭い、クラスに馴染めず――
おおよそボクが通った道と、同じような感じだった。

ある日、そんな彼の才能が注目されることになる。

新人の劇団員は、先輩方がスケジュールの都合で稽古に参加できないとき、
代役で入ることが結構あるのだけれど。

彼は、その役者の動きのクセや、
セリフの喋り方を完全コピーすることができたのである。

それも、一度や二度見ただけで。

ジャニーズ事務所に所属しているアイドルは、
ダンスの振り付けを一度見ただけで覚えられる――
なんていうのは有名な話だけれど、まさしくそんな感じだった。

なぜそんなことができるのか尋ねると、
どうやら、今まで人の顔色を伺って生きてきたおかげで、
知らず知らずのうちに身についたらしい。

ボクは、その才能を羨むと同時に、
彼の、そんな才能を身に着けざるを得なかった環境を想像し、ゾッとした。

彼もまた、負のチカラを使い続けてきた人間だったのだ。

そんな、ボクたちのような人間でも――

青春時代に、学校生活を楽しんで、
大学に行き、やりたいことを見つけて、社会に出る。

そんな、「普通」と言われることが出来なかった人たちでも――

演劇という世界では、活かすことができる。

ボクは、演劇に出会えたことに感謝した。
ボクたちには、演劇しかない。

だから、嫌われないように、切り捨てられないように、
努力し続けるしかなかったのだ。

ネガティブな思いを、チカラに変えて。



そんな生活を続けていた、ある日のこと。

不幸なことに――
いや、今となっては、このタイミングで幸運だったと思うけれど。

ボクは、気づいてしまったのだ。

演劇を
「好きで好きでたまらない」
という理由でやっている人たちがいることを。

「好きでそれをやっている人がいる」
という当たり前の事実に、ようやく気がついたのである。

ボクが、もうボロ雑巾のように、
全てを出し尽くしたあとでも、

「ここはもっとこうしませんか?」
「あそこはこうしたほうが面白くなりません?」

みたいな意見がどんどん出てくる人がいて。

「いやいやいや、なんでそんなに余力があるの!?」

と、ボクは驚愕したのを憶えている。

もう本番は目前。
積み重ねてきた努力は、お互いそう変わらないハズだ。

それは、一緒の舞台に立っていれば分かること。
一日は24時間しかない。使える時間は同じなのだ。

なのに、なぜ、まだ立っていられる?

そのときに、ようやく気がついた。

「好きだから」なのだ。
「楽しいから」なのだ。

もちろん、
体力的にも精神的にも、大変なことは変わらないだろう。

だけど、
それは本人にとっては「努力」ではなく、「ただなすべきこと」なのだ。

頑張って、努力して成し遂げようとするのではなく、
やるのが当たり前、黙っていてもやってしまう、やれてしまう。

そもそもの、マインドが違うのだ。

その事実に、ボクは完全に打ちのめされ、目が覚めた。

「この差は、努力では決して埋められない」

気がついたからといって、
ボクにはどうすることもできないのである。

だって、
ボクは「負のチカラ」を使うやり方しか知らないのだから。

もはや、残されたできることは、
ただただ、今までのやり方を続けることだけ……。

「いやー、好きなことやって、お金貰えて、俺たちは幸せだなぁ」

やめてくれ……!
全然幸せなんかじゃない!
やってもやっても、全然満たされない!
もっと好かれたい、もっと認められたい、もっと、もっと……!

そんな彼らの眩しい姿は、もう身体が言うことをきかなくなり、
心も壊れそうだったボクに、トドメを刺したのだった。

そして、ボクは、
不具合を起こしたパソコンのように、強制終了をすることになる。



ボクが劇団を去ったあと、
ほどなくして後輩のA君も辞めたらしいと、風のウワサで耳にした。

辞めた人間、残った人間。
その違いは何なのか、もう明確だ。

負のチカラで戦ってきた人は去り、
ボクが「やっぱり好きでやっているんだなぁ」と感じた人は、今でも残っている。(もちろん、負のチカラで戦い続けられる才能を持った人も残っているけれど)

負のチカラは、凄まじいチカラを生み出す。

だけれど、それは短期的なもので、
長期的に使い続けることを考えたとき、
それは「好き」というエネルギーには敵わない。

負のチカラだけで突き進むこと。
やっぱりそれは、一部の才能を持つ者だけが許された道なのだ。

死ぬまで、渇きが癒えることがない。
それをチカラに変え続けられる才能を持った者だけの。



自分がどんなチカラを使っていくのか。
それを選ぶのは、もちろん自由だ。

何度も言うように、
負のチカラを使い続けられる才能を持ってる人もいるしね。

でも、覚えておいて欲しいのは、
「どっちかひとつだけを選ぶ必要はない」
ということ。

負のチカラが短期的、
好きのチカラが長期的に優れているのならば――

どっちも使っていけば良くない?(笑)

状況に応じて、変えていけばいいのだ。

もし、
今まで自分が、どちからひとつのチカラだけを使っていて、
上手くいかなかったのだとしたら。
もう片方を取り入れてみるのも良いかもしれない。

負のチカラは「それしか道がない」と思い込んでしまうと、
そのチカラに飲まれる危険があるけれど。

「どんなチカラを使っても良い」
という道があることを分かっていれば、上手く付き合っていけるからね。

ボクは今、
昔、散々負のチカラを使うことをやってきたので、
逆に、好きのチカラのほうに極振りして生きている。

たぶんそのうち、
良いところでバランスがとれてくる気がするんだよね(笑)

だからみんなも、
今まで自分が使ってこなかったチカラ、使ってみてね!


※この記事は、2018年11月に、菊池遊真の個人ブログ「あっとゆーまな日常。」に投稿した記事を加筆・修正したものです。

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