写真に時間を閉じ込める

愛知を拠点に活動している写真家・尾野訓大さんの作品を一点引き取ってきました。作品を受け取るときはやっぱりテンションが上がりますね。すっかり財布はカラッポですが、満足です。

尾野さんの作品をはじめて見たのは名古屋都市センターで行われた「中川運河写真」という展覧会でした。文字通り名古屋にある中川運河の風景を撮った作品が並んでいて、尾野さんの作品もそのひとつという感じで特に印象に残ったわけではありませんでした。それが2012年春のこと。

尾野さんの作品に対する印象がガラリと変わったのが、同じ年の秋、名古屋大学教養教育院ギャラリー「clas」で行われた個展でした。
大学内のギャラリーということで、期間中行われたアーティストトークは火曜日の17時からというという時間設定。「カタギの鑑賞者は誰も見に来られないよ!」と思いつつ、カタギでない私はトークに合わせて見に行くことにしました(単に仕事が休みだっただけ)。
いざ会場に着いてみたら案の定学外の参加者は私ひとりだけ。進行役の人が気を遣ったのかやたら話をこちらに振ってくださって、何を質問しようかドギマギした記憶があります。
それはともかく、尾野さんご本人から作品について聞けたのは大きな収穫でした。

このときの個展のメインビジュアルだったこの作品。「砂山」というタイトル通り、採砂場というのか工事現場のようなところの砂山が被写体となっています。
普通の風景写真じゃないかと言われそうですが、実はこれ、撮影されたのが夜中なんです。夜中にこれだけ明るく撮れるのはカメラの「長時間露光」の機能を使っているからで、それによって夜間のわずかな明かりを取り込むことが可能になっています。砂山が緑っぽい色をしているのは外灯の性質によるもので、あとはたとえば曇天だと雲が光を反射するので明るさが変わってくるのだとか。
そうした話を尾野さんから聞いた瞬間作品の見え方がガラッと変わったような、そんな鮮烈な体験をしたのを今でも覚えています。と同時に、人間の目では夜間にこんな景色が見られないわけで、人間の目よりもカメラの方が性能としては高いんだろうか、とそんなことを考えてしまいました。もちろん人間が生存する上で必要なもの不必要なものを取捨選択して進化してきた歴史があることは分かるのですが、普段視覚に頼る部分が大きいぶん人間の目にも不可能なことがあると知るとやはり驚いてしまいます。

このときは大学内の施設だったので作品を購入することはできなかったのですが、AIN SOPH DISPATCHさんではじめて行われた個展のときに常設作品を展示するスペースにこの作品が展示されていました。本来であれば個展で発表しているシリーズを購入するべきなのかもしれなかったのですが、自分にとって尾野さんとの関わりのなかでとても大事な作品だったので、こちらを購入しました。

ちなみにこのときの個展で発表されたのが、「実らずとも」のシリーズでした。

花屋で売られていた切り花をスタジオにセッティングし、ずっとシャッターを開けたままにすることで、花が萎んで枯れていくまでの時間を一枚の写真に閉じ込めたシリーズです。
このシリーズが結構人気で、尾野さんの名前を出すと「あの花の作品の人ね」って言われることも増えたのですが、私は結局一点も買わずじまいのまま来ています。好き嫌い関係なくあれから一度もこのシリーズでの個展はされていないから購入のタイミングがなく今に至ってしまったという単純な理由です。
上の画像は名古屋ワンピース倶楽部のメンバーのコレクションを今年2月に展示したときのものです。何点かまとめて見るとシリーズの特性がぐっと前面に出て良さが強調されるような気がして、こういったコレクションの仕方も面白いのだと勉強になりました。

その後も尾野さんについては、佐久島でのグループ展(「佐久島 遍路展」2012年、「花さく島」2014年)や、織部亭さんでの個展(「時の積」2014年)、そしてAIN SOPH DISPATCHさんでの定期的な個展(「思春の森」2014年、「積景」2015年、「造山輪廻」2016年、「藪の中 闇の中」2017年)などなどで展示を拝見していたのですが、2019年の1月〜3月には三重県立美術館で行われたグループ展に参加されたので見に行ってきました。

「パラランドスケープ“風景”をめぐる想像力の現在」。風景をテーマに5人の若手アーティスト、絵画や写真、インスタレーションなど表現方法もさまざまな作家が集まってとても充実した展覧会となっていました。

尾野さんは入ってすぐの展示室を全部使って展示されました。天井も高く壁も広いので、大きい作品も展示できてとても見応えがありました。

「砂山」も展示されていました!

作品の展示は壁だけでなく床にまで広がっていて、、、

何と展示室を飛び出して外の庭にも作品が展示されていました。

これまで発表したシリーズの作品をミックスして展示されていたのですが、作品を見るたびに「ああ、これはあのときの展示で見たなあ」ということが思い出され懐かしくなりました(「これは北名古屋市の旧加藤家住宅で見た作品だ」と思った人間は私以外ほとんどおるまい)。
作品が壁にかかっている状態を二次元とすれば、床や屋外に作品を配置することで三次元となるわけですが、自分にはそこに更に時間が積み重なった層があるように感じられました。つまりは四次元ということですね。
美術館の展示空間をそのように感じられたのはそれまでずっと見てきたからこそで、それは単純にうれしかったです。

このときに新作として発表されたシリーズを中心にした個展「空間」が展覧会の会期後半の2019年3月にAIN SOPH DISPATCHさんで行われました。私が購入したのもこのときでした。

車の窓から外を見る形でカメラを設置して一定の時間シャッターを開けたまま車を走らせて撮られたもの。おびただしい光の線はいったい何だろう。私のなかでは海沿いの工場地帯なんですが、真相はいかに。いろんな想像ができる作品です。

おまけ。
上でちらっと触れました、北名古屋市にある国登録有形文化財「旧加藤家住宅」でのグループ展「記憶の庭で遊ぶ」について。これは名古屋芸術大学の学生や先生、OBが参加して毎年秋に行われている展示です。尾野さんは2015年に参加されていました。

ちょうど会場にいらした尾野さんが私のスマホで撮ってくださった私の姿です。

笑。被っているのは松岡徹さんの作品です。懐かしい〜!

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