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ファルマコンを探して (7) 1990年の夏、恐竜の夏。

前回取り上げた「美術の窓」1990年9月号の「ファルマコン’90」レポート記事には、実はもう一枚、写真が添えられていました。
それがこちら。

「同時期に開催された『大恐竜博』を訪れる家族連れで賑う」というキャプションは、暗に「ファルマコン’90」が入場者が少なく閑散としていることを揶揄しているんじゃないか、と邪推したくなるのですが。
それはさておき、「ファルマコン’90」の会場の外では「大恐竜博」目当ての人たちもいて幕張メッセの周辺はかなり賑わっていたことが知れたのは良い収穫です。

だからか!と納得できたのは、私が購入した図録に挟まっていた、会場で配布されていたと思われる子ども向けのリーフレット。

なかの文章にやたらと「きょうりゅう」が出てくるのは、同時開催の大恐竜博を意識してのことだったんですね。ただ、ステラの作品とか「ファルマコン」という名前が「きょうりゅうみたい」ってちょっと無理がある(笑)。
個人的には客層が全然違う気がするんですけど、なかには大恐竜博の混雑に辟易して(チケット買うのに行列ができていたとかの理由で)「ファルマコン’90」に流れた家族連れもいたんでしょうか。だとしたら子どもはショックだったでしょう、、、そんな不幸な子どもはいなかったと信じたいですが。

せっかくなのでこの「大恐竜博」についても調べてみました。「地質ニュース」437号(1991年1月号)に載っていた竹内圭史氏の「恐竜の谷」という文章の冒頭部分に分かりやすく説明されていたので引用したいと思います。

昨年(1990年)7月7日の七夕から9月2日まで、千葉の幕張メッセで大恐竜博が開催されました。大恐竜博は、学研・TBSが主催で、カナダ アルバータ州のティレル古生物博物館ほか所蔵の恐竜化石を中心に展示したものです。「只今、JALで移動中。ガオー」と恐竜が吠えるCMも人気を呼びました。私も開催直後の7月8日にさっそく見物に行ってきました。日曜日だったこともあって、午前10時の開館時にはすでに長蛇の列ができており、私も10時15分頃並んで入場できたのは11時でした。観客層はといいますと、親子連れは一番多いのはまず順当として、年配の夫婦・若いアベック・小中学校の生徒などかなり多様で、恐竜の幅広い人気のほどがうかがえます。

幕張メッセがオープンしたのが89年の10月。大きな催し物ができる会場がようやくできたということなんでしょう。今では毎年のようにどこかで行われている恐竜展ですが、本格的なものはこの1990年の幕張メッセのものが最初になるようです。
その目新しさを表すかのように、「週刊文春」1990年7月19日号には「幕張メッセに恐竜21体が上陸」と、見開きのページに大きく写真を載せて紹介しています。
「ファルマコン’90」もこれまでにない斬新なイベントだよーと思いつつも、世間一般ではやっぱり現代美術よりも恐竜のほうがより関心を持たれやすいからしょうがないんだろうなあ。ちょっと残念ですが。

このときの大恐竜博を見て恐竜が好きになったという方の声をネットでチラホラと見かけたのですが、今は古生物学者として活躍されている方(お名前は分からず)もそんなことを書かれていて、当時の記念写真が載っていました。

記念写真には「ファルマコン’90」の看板が写り込んでいます。まるで「ファルマコン’90」に来たみたくなっているのが微笑ましいですね。

青少年に影響を与えていたという点では「ファルマコン’90」も負けていません、というのはもちろん冗談ですけれども、artscapeのサイトに掲載された東京オペラシティアートギャラリーのシニアキュレーター・福士理氏の経歴を見たときは本題(モンドリアンの「赤、青、黄のコンポジション」)そっちのけで「おおー」と声を上げてしまいました。

1965年、東京に生まれた福士氏は、小学生の頃に油絵を習い、父親と一緒にゴッホ展や印象派100年展にも行ったそうだ。大学は、慶應義塾大学の法学部政治学科に入学し、卒業後は会社員になった。まさにバブル崩壊が間近に迫るその時期に、大規模な現代アート作品が展示された「ファルマコン'90 幕張メッセ現代の美術展」という薬と毒を意味する展覧会を見に行った。野球場のグラウンドの広さと同じ13,500平方メートルの会場に、国内外69人のアーティストによる200余点の大きな作品が展示されていた。その広い展示空間の中で、福士氏は印象派とは違うアートの世界を感じ取った。会社を退職して学芸員を目指し、1992年慶應義塾大学へ復学、文学部に学士入学した。そして2000年、同大学院の後期博士課程を単位取得退学し、札幌芸術の森美術館の学芸員となった。その後ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)などを経て、2010年より東京オペラシティ アートギャラリーのキュレーターを務めている。

さて。
YouTubeには来場者が撮った会場の様子がアップされていました。

「ファルマコン’90」でもこういったものが残っていればいいのに、なんて思いながら見ていたんですが、映像を見ていて気になったのは、人の多さ。どのシーンにも少なからぬ人が映り込んでいてかなり混雑していたのが分かります。

「日経イベント」1991年4月号によれば「大恐竜博」は7月7日〜9月2日の会期で120万人もの動員を記録したそうです。
主催にTBSと学研が入っていることは引用部分でも触れられていましたが、学研の販売員が40万枚もの入場券をさばいたとのこと。「まだかなまだかな〜学研の〜おばちゃんまだかな〜♪」ってCMソングも記憶に残っているあの学研のおばちゃん達が動員に貢献したんですねえ。驚きました。
ここではずっと「大恐竜博」としか表記していなかったですが、正式なタイトルは「日立ディノベンチャー’90大恐竜博」で日立の冠がついたイベントでした。日立製作所の創業80周年、日立家電販売35周年を記念して開催されたそうですが、大成功に終わって良かったのではないでしょうか。

記事では他に企業の冠がついたイベントも含めて費用が載っています。日立の「大恐竜博」で5億円、サッポロビールがゼッケン協賛した箱根駅伝(テレビ放映4年目)が4億円、大塚製薬がスポンサーについたローリングストーンズの初来日公演(東京ドーム10公演)が5億円。へえ〜景気がいいなあ〜、と何となく読んでいたのですが、そう言えば第3話で「ファルマコン’90」の費用について触れたことを思い出しました。

その額、ズバリ4億5千万。

「大恐竜博」やローリングストーンズとほとんど額が変わらない!!

「日経イベント」の視点からすると費用対効果が悪いと批判の的になるのかもしれませんが、個人的には「なんと贅沢な展覧会だったのだ」と感嘆したくなります。すごいなあ、と改めて実感しました。

最後に。
「大恐竜博」は「週刊文春」でも紹介されたという話をしましたが、その同じ号、1990年7月19日号にはある美術品に関するスクープ記事が載っています。
「ファルマコン’90」とも現代美術とも関わりのない話ではありますが、当時の美術をめぐる状況を知る上ではかかせないトピックであると思いますので、次から数回にわたって掘り下げていきたいと思います。


〈トップ画像について〉
「大恐竜博1990」パンフレットより、ティラノサウルスのイメージ図。カナダ・アルバータ州は化石がたくさん見つかることで有名な地域で、このときの恐竜博は「ティレル古生物学博物館」より化石がたくさん展示され、なかでもティラノサウルスの化石が目玉だったそうです。

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