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ファルマコンを探して (10) 相互理解は一歩一歩確実に

第4話で触れたAC&Tコーポレーションが設立されたときに発行された会社案内パンフレットを見せていただく機会がありました。

せっかくなので会社設立についてのステイトメントを全文引用したいと思います。

 日本は現在、自他ともに認める経済大国であり、国際的にも重要な地位を占めています。しかし、一方では、貿易摩擦など諸外国との深刻な軋轢も出始めております。
 世界同一国家化の前ぶれとして急速に進みつつある世界同一市場化の中にあって、日本人の、日本経済の、そして日本文化の国際化が、今、求められると言えましょう。又、世界の人々が理解し合う為に、文化や芸術の交流が重要である事は言うまでもなくありません。
 この様な時代にあって、アキライケダギャラリー・伊藤忠商事・ツルカメコーポレーションの3社が設立致しましたエーシーアンドティーは日本人にとって、異文化とも言うべき、アメリカ・ヨーロッパのコンテンポラリーアート[現代美術]を本格的に日本に紹介することを通じて、相互理解の一助を果すと共に、現代人の心に潤いを提供することを目的としています。

絵画ビジネスのどす黒い部分をさんざん見てきただけに、この文章からもたらされる誠実さにはどこかほっとする気がします。
続いて事業内容を、こちらも全文引用します。

コミッションワーク
インテリジェントビル等のパブリックスペースに合せて、アーティストが作品を制作します。
版画制作
アーティストを日本に招待し、版画を制作、作品を国内外にて販売します。
イベント企画
世界の一流美術館で開催される展覧会を日本に招来し、主要美術館で開催、又、当社が企画した展覧会を国内外の主要美術館で開催します。
企業タイアップ
企業の社会志向・文化志向が進む中、各企業等の文化事業のコンサルティングをします。
出版
上記に関係する書籍・カタログ・ポスター・ポストカード等の出版をします。

これを見るまでは「版画制作」のイメージが強かったのですが、実際にはいろんな事業を手がけていたんですね。海外の美術展の招聘とか美術展の企画についてはどの程度実績があったんでしょうか。気になります。
パンフレットには他に取扱い予定作家のリストも載っています。主に海外作家は「ファルマコン’90」に参加した面々ですが、日本人作家は浅野弥衛、国島征二、吉本作次、河原温、桑山忠明などアキライケダギャラリーが扱っていた作家の名前が並んでいます。

と、ここまで書いたところで、雑誌から新たな情報を得ました。第9話でも紹介した「月刊美術」1990年4月号の特集「アートビジネス最前線」に実はAC&Tも取り上げられていたのでした。
まずはカラーページに掲載された写真から。

他の記事にもありましたが、大手商社の伊藤忠が資本参加したことは大きな話題になったようです。ただ、当時の主流だった印象派などに流れず現代美術を選択したのは堅実だし本当に立派だと思います。
そして北青山のギャラリーが89年10月末にオープンしたというのも新しい情報です。写真を見る限りギャラリー空間は結構広そうですね。充分見応えがありそうです。(「日経アート」89年11月号によると、それまでは青山の事務所の一角で作品展示していたそう。)
この記事が出た時点では国内外の作家計10名に版画制作を依頼、その出版を手がけています。具体的には、ジェームス・ブラウン、ケニー・シャーフ、レイ・スミス、サンドロ・キアといった国外作家が6名と、原口典之、若林奮、高松次郎、山本富章の日本人作家が4名。

30部の限定エディションで15セットを内外のコレクター、ディーラー、美術館へDMで購入をすすめている。残り半数は数年間保存し国際的評価を得るまで販売を押さえておくというユニークな戦略。

初年度年商2億円と書かれていますが、版画販売が占めていた割合はどのぐらいなんでしょうかね。「日経アート」からは、現代版画は需要自体が極めて小さく、作家が限定されるため幅の狭い品揃えにならざるを得ない、という理由から「好調な展開にみえるが内情は楽でもない」とバッサリ斬られてしまっています。
「現代美術のビジネスでは当分採算が取れるとは思っていない。しかし、長い目で見て前向きに事業を進めていきたい。」というAC&Tの取締役を兼ねる伊藤忠商事非鉄金属部長の松本孝作氏のコメントも取り上げていますが、バブル期の絵画ビジネスのほとんどが焼け野原と化したのを踏まえると、賢明な選択だったと(今になって言えることかもしれないですけど)そう思います。

そして気になっていたイベント企画についても紹介されていました。

 企画展として大きなものは昨年「ジュリアン・シュナーベル/カブキペインティング展」を大阪の国立国際美術館、東京の世田谷美術館で開催。作家と歌舞伎役者との対談、パフォーマンスもからめ大きな話題となった。

シュナーベルのカブキ・ペインティングは歌舞伎の背景画を下敷きにして描かれたシリーズで86年にニューヨークで発表、多くは美術館やコレクターが所蔵していましたが、この展覧会のためにほぼ全作品の12点が来日したそうです。
展覧会は89年6月10日〜7月23日に国立国際美術館で「歌舞伎絵画」として、同年9月15日〜10月22日に世田谷美術館で「カブキ・ペインティング」として開催されました(美術館それぞれに違うタイトルをつけたよう)。
歌舞伎役者との対談・パフォーマンスについても詳細がありました。世田谷美術館のオープニングを記念して9月14日に「シュナーベルVS歌舞伎・対談と創作日本舞踊」というタイトルで行われた、シュナーベルと中村吉右衛門の対談、中村雀右衛門による創作舞踊の二本立てのイベントのようです。
諸外国との相互理解を理念に打ち出した会社が企画に関わった展覧会がアメリカの作家と日本の伝統文化のコラボレーションだったというのは筋が通っていて良かったのではないかと思います。

国立国際美術館のホームページに記録がきちんと残してあって、約1ヵ月半の会期で入場者総数は5,136人(1日平均135人)。これを考えると「ファルマコン’90」の27,830人という数字は現代美術界隈では健闘した数字だったんだなと印象が変わりました。

「日経アート」誌にはアキライケダギャラリーと並んでAC&Tも毎月広告を出していました。そのなかからいくつか抜粋してみたいと思います。
89年秋に出た試作版に掲載されたもの。

版画制作は手始めにジェームス・ブラウンと原口典之というふたりの作家のものを手がけたようです。
あとは住所にも注目。掲載されているのは北青山のギャラリーではなく事務所のもの。ギャラリーは10月末のオープンなので、広告のほうが先になったようです。

90年1〜2月の「高松次郎展」。

「アンドロメダ」4シリーズを発表したもので、第4話に載せた価格表はこのときのものですね。
そのほかAC&Tという会社についての簡単な紹介文も載せられています。

90年3〜4月の「チェマ・コボ展」。

90年5〜6月の「ドナルド・バチェラー展」。

同年2月に来日して制作したときの様子が広告になっています。第4話でちょこっと触れた初来日がこのときだったんですね。

90年9〜10月が「原口典之展」。7月に制作が行われました。

91年2〜3月がサンドロ・キア。前年の10月に制作のため来日していたようです。

と、こんな感じで、90年〜91年前半にかけては、カラーで1ページの広告が毎月掲載されていたのですが、91年8月号からは白黒の1/4ページほどと広告費がぐっと抑えられます。そして92年2月号の納谷雅幸氏の個展を最後に広告は途切れます。

納谷氏について調べてみましたがネットにはまったく情報がありませんでした。それまでは著名な作家ばかりを手がけていたのを考えるとスケールダウンした感は否めません。何か事情があったのでしょうか。その辺りはまったくもって謎のままです。
「日経アート」に目を通していると91年にはバブル崩壊の影響が美術業界にも波及して景気が一気に悪くなっていくのがよく分かります。現代美術が中心とはいえ、AC&Tもその影響を避けるのは難しかったのかもしれません。
92年末に出た美術手帖「年鑑’93」の住所録を確認すると住所は北青山のギャラリーではなく事務所のものが載っていました。ということは、その時点で既に北青山のスペースを引き払っていたのかもしれません(「年鑑’92」以前の住所録にはそもそもAC&Tが載っていなかったので断定は難しいのですが)。

一方で92年はアキライケダギャラリーがニューヨークの店舗をスタートさせた年でもあります(オープンは5月)。アキライケダとしては次の一手を打とうとしていて、AC&Tが停滞したのもそこに原因があるのかもしれませんが、暗いニュースばかりではないのは救いを感じます。

〈トップ画像について〉
ジュリアン・シュナーベルの作品「再生Ⅰ(カミリアーノ・シュン・フェゴスの最後の眼差し)」。89年の展覧会「歌舞伎絵画」出品作のひとつで、国立国際美術館のほうではメインビジュアルに使われていました。「義経千本桜」における吉野山中の背景として描かれた桜の絵の背景幕が使用されているそうです。

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