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国際芸術祭あいち2022 あと半年!②

もう一度「国際芸術祭あいち2022」にからめたお話をしたいと思います。
参加アーティストのなかで作品を見るのを楽しみにしているひとりが、黒田大スケさんです。

昨年の京都芸術センターでの個展「未然のライシテ、どげざの目線」。京都の街なかにある公共彫刻をリサーチした作品のほか、著名な彫刻家になり切って語る映像作品からは彫刻(あるいは彫刻家)の持つ権威性や政治性が浮き彫りになっていて、彫刻のまた違った面白さを感じさせてくれました。

そんな黒田さんの個展が今年に入ってから広島で行われたので見に行ってきました。

広島をリサーチして制作された作品では朝倉文夫を取り上げていました。

彫刻家に関連する動物に憑依して語る映像作品では猫になっていました。
朝倉文夫は猫をモチーフにした作品をたくさん作っていて、東京オリンピックの年に「猫百態」展を企画していたのだとか。残念なことに「猫百態」展は自身の病死につき実現しなかったそうですが。

私のなかで朝倉文夫と言えば、日本画家であり数多くの舞台美術を手がけた朝倉摂の父であるということと、アトリエが朝倉彫塑館という美術館になっていることぐらいしか知識がなく、作品を拝見して結構勉強になりました。

とはいえ朝倉文夫は広島と深い関わりがあったわけではなかったようです。次女である朝倉響子作の「新聞少年の像」が基町の中央公園に設置されているぐらいだとか。

一方で広島と深い関わりを持ったのが、上の画像にもちょうど名前が出ていますが、円鍔えんつば勝三なんですね。
円鍔勝三は現在の尾道市御調みつぎ町の出身。広島にゆかりの作家ということで、平和記念公園内には円鍔勝三の作品がたくさんあるそうです。と同時に、御調町には円鍔勝三彫刻美術館もあるとのことで、一度行ってみなければと思います。

ちなみに現代美術の展示を見ていて円鍔勝三の作品に出くわしたのはこれが2回めです。

前回がこちら。
「さいたま国際芸術祭2020」での平川恒太「太陽の民ーホワイトアウト」です。
霧に包まれた空間のなかでうっすらと見える人物の立像が「憩い」(1966年)。会場である旧大宮区役所が建てられた当時に設置されたものなんだそうです。
作品キャプションによれば「円鍔勝三の彫刻作品は戦前から戦後に至る中で作品テーマが変遷している」とのこと。いずれこの辺りを詳しく調べてみたいですね。

話を元に戻します。
個展に出ていた作品で気になったのがもうひとつ、こちらの作品。

紙ナプキンに描かれたドローイングなんですが、これは元になったモニュメントがギャラリーの近くにあると聞いて、実際に行ってみることにしました。
ギャラリーを出て御幸橋を渡ってすぐのところにある皆実町緑地という小さな公園にそれはありました。

現在では平和塔と呼ばれていますが、かつては日清戦争凱旋碑という名前でした。ふもとには「平和塔」と刻まれていますが、以前は「凱旋碑」とあり、戦後、GHQの占領下に置かれた際に進駐軍からの糾弾を恐れて書き換えられたものなんだそうです。

皆実町緑地から少し南へ進むと、千田廟公園があります。
ここは明治時代の広島県知事・千田貞暁を顕彰するために作られた公園で、公園内には千田貞暁の銅像も立てられていました。

千田貞暁は宇品港(現在の広島港)築港に貢献しました。
かつて広島は軍都でした。日清戦争のときには広島に大本営が設置され、明治天皇が一時的に広島に移り指揮を取りました。
そんな街の歴史が彫刻から感じられるのが面白いですね。

実は、黒田さんは同時期に広島城でも展示をされているはずでした。

広島市現代美術館の休館中プロジェクトとDOMANIの共同企画という形で村上友重さんとの二人展だったのですが、まん延防止等重点措置の期間と重なり広島城が休館となってしまったため、こちらは見られずに終わってしまいそうです。

それは残念なことですが、そのぶん「国際芸術祭あいち2022」で黒田さんの作品が拝見できるのを楽しみにしていたいと思います。
黒田さんの展示会場は常滑市。現在すでに常滑で滞在してリサーチを進めているそうで、どんな土地の歴史を紐解いてくれるか、今から楽しみです。


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【今回の展示】
黒田大スケ「不在の彫刻史 3」
2022年1月10日〜28日
THE POOL(広島市中区)

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