「インポッシブル・アーキテクチャー」展の雑感とちょっとした愚痴

今回は国立国際美術館で「インポッシブル・アーキテクチャー」展を見た雑感を記す回にするつもりでしたが、予定をやや変更して愚痴も書き連ねる回にします。

まず、先日の政府の発表によって国立の博物館や美術館がコロナウィルス感染防止のため休館することになりました。
従って本来の会期は3月15日までだった「インポッシブル・アーキテクチャー」展も2月28日が最終日となりました。

じゃあ今日どうしても見ておくしかないか、と思って開館時間を調べてみたら、閉館が何と17時。早すぎじゃない?せめて18時ぐらいまで開けておいて欲しいわ。
結局岸和田から戻ってきたのが16時過ぎだったので1時間弱で見て回ることになりました。

展示じたいは非常に面白い、というか興味深かったです。技術的、政治的、経済的、さまざまな理由で実現ができなかった「建築」事例が並んでいるのですが、何というかロマンがありますよね。もし実現していたらどうなっていただろう、と空想をかき立てられるというか。

個人的に印象に残ったのが、ブルーノ・タウトが昭和初期に手がけた生駒山の小都市計画、菊竹清訓の京都国際会館のコンペ案(要塞みたいで格好良かったです)、磯崎新の東京都庁のコンペ案(これは本で読んだことがありました)、村田豊の空気膜構造建築などなど。
あとはピエール=ジャン・ジルー「見えない都市 # パート1 # メタボリズム」も良かった。丹下健三設計の「静岡新聞・静岡放送 東京支社」や「フジテレビ新社屋」、レインボーブリッジが存在する現在の東京に、DNAの二重螺旋構造をモデルにした黒川紀章「東京計画1961-Helix計画」、磯崎新「空中都市-渋谷計画」といったメタボリズムの建築家が提唱した都市計画が紛れて込んでいるというCGの映像作品。絶えず花びらがはらはら舞うなか近未来を思わせる東京の景色が次々現れていて見飽きることがありませんでした(この作品、以前にもどこかの展覧会で見た気がするけどまったく思い出せない)。

そしてクライマックスは、ザハ・ハディドの幻となった日本の国立競技場。わざわざ「実現可能だった建築」というようなキャプションを設置して強調しているところからして、この展覧会の企画者の怒りや無念さが伝わってくるよう。分厚い資料の展示からもその思いがしっかり伝わってきました。
ちょっと話が逸れるかもしれないですが、ザハ・ハディドの国立競技場が白紙になったとき「この国も貧しくなったんだなあ」という思いを強くしました。経済的にも、文化的にも。まあ豊かでないと文化にお金を回す余裕がないので同義なのかもしれませんが、これぐらい奇抜というか挑戦的な建築が実現できない、日本という国の体力が弱っているんだなと。
また「世論」を武器に正当な手順で決められていたことをお上の一存でひっくり返すという事例を作ったのは、のちの「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」問題に繋がったんじゃないかと思います。競技場の設計に「神宮の森に相応しくない」みたいなふんわりとした批判が出たのも、「表現の不自由」展が反日だと罵倒されたのに似ているような。そしてそれらがお金の問題にすり替えられたのも。
あ、国立競技場ならコンペで最終まで残っていたSANAAの案も実現したら良かったなあと思います。

話を元に戻して、最後は会田誠と山口晃による都庁と日本橋でゆるーく〆るというまさに緩急つけた巧みな構成で非常に楽しめました。

と、B3フロアの「インポッシブル・アーキテクチャー」展を見終えたのが閉館10分前。それからB2フロアのコレクション展「現代日本の美意識」は、途中で17時を迎えてしまったこともあり、ほとんど立ち止まらずに見て展示室を出ることとなりました。

まあ早足で見ることにはなったけれど、ことに「インポッシブル・アーキテクチャー」展については図録を購入するから、またじっくりと家で資料を読めばいいかと思っていたんですよ。この雑感を書くにも参照するだろうし。

ですが、B1フロアのショップに行ってみたら、もう閉店してました。

orz・・・悲しすぎる。
もちろん従業員さんの気持ちを考えたら早めに営業を終えたいのは分かる。けど、せめて5分ほどお情けはいただけないかと思ってしまうのもまた人情。
だったらAmazonでポチったるわー!と鼻息荒くただちに検索したんですが、税込2,970円と表示されたのを見た瞬間、「まあ、次回来るまでに考えよう」と日和ってしまったヘタレな私です。


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