台湾散歩1〜熱狂のあとさき

緊急事態宣言が出て展示回りも制限されている昨今、この期間を利用して過去の振り返りというか、台湾での話をいい加減まとめておきたいと思います。
ここからは4日間台湾の街なかを歩いて見たものや感じたことを小分けにして書いていきたいと思います。

台北市立美術館へ行ったときのこと。
最寄の台北メトロの円山駅で降りたのですが、駅のすぐ東側は広い公園になっていました。

台北花博公園という名前の通り、ここは「2010台北国際花の博覧会」の会場だったところです。171日の期間中に、896万3666人もの観客を集めて成功のうちに終わり、その後は公園として整備されて今に至っています。日本における大阪の鶴見緑地公園みたいなものなんでしょうね、たぶん。

駅の出入口そばにいたこちらのキャラクター。

この時代にショルキーって。と思って撮ったのですが、これがどうやら花博のマスコットだったみたいです(花博に行った人のブログ見て知った)。それにしても2010年でショルキーって。
(ショルキーと言えば90年代前半、まだTMNで活動していた小室哲哉さんの姿がどうしても浮かんでしまうので)

園内に入ると当時の建物がそのまま残っていることに気づきます。

上の画像の「EcoARK」とある建物は、万博のときのパビリオン。ペットボトルを利用したゼロ炭素の建物(台湾初)で、当時は60分待ちの行列ができるほどの大人気だったそうです(完全にネット情報)。
とはいえ、それは十年ほど前の話。画像の通り今となっては人もまばら。土日はファーマーズマーケットなんかが開かれて賑わっているみたいですが、平日の午前中だから本当に閑散としていてもの寂しさがありました。

フードコートもこんな感じ。テーブルには誰もいやしない。

(これは店舗の上の広告にある「軍犬 Military Dog」が気になって元々は撮ったもの。ビジュアルの印象からして犬の話じゃないよね?どっちかと言うと人が犬のように扱われる話だよね?と思って帰国後にティーザー映像を見たらその通りどころかもっと露骨にエロかった。)

ただ、屋根つきの広い空間だからなのか、ダンスの練習をしている集団はやたらといました。日本でも数人のグループがストリートダンスを練習している風景は街中で見かけますが、もっとメンバーの数が多い上にコーチみたいな人がいて本格的に見えました。学生っぽく見えたけど、平日だったしいったいどんな属性なんだろう。アイドル予備軍なのかしら。

大通りを挟んで反対の区画には、こちらも花博の名残と思しき「原民風味館」という建物が。

音楽が流れてたけど人の気配はせず開いているのかどうかも不明。その場ではてっきり台湾料理のレストランだと思ってやり過ごしていたのですが(「風味」という言葉に引っ張られたのは間違いないです)、どうやら原住民の方がたの文化や産業を紹介する建物だったらしいです。

公園で見つけたクマのキャラクター。

これも万博の?と思っていたら、同じ日の夜に別の場所でも目撃。何だったんだ、とこの文章を書くために検索して正体を突き止めました。
2017年に台北で行われたユニバーシアード大会のキャラクター「熊讃Bravo」です。人気が出たので大会終了後は市政府のキャラクターになったんだとか。だからどうした、って話なんですが。
ちなみに別の場所で見た「熊讃Bravo」(何て読むんだろう。つい勝手に「くまさんブラボー」って読んじゃう)はこちら。

別物かって言いたくなるぐらい目の印象が違う。どうして。

まあ本筋じゃないので別にいいんですけど。
逸れついでにもうひとつ。この場所は松山機場からほぼ直線上に位置するだけあって、着陸する飛行機が頻繁に頭上の結構近い位置で見られました。

東京発着の便は松山機場を利用するものがあるんですが、中部国際発着の便にはそれがないんですよね。あると便利なのに残念です。

公園の奥には、鬱蒼とした樹々に囲まれてひっそりとした空間がありました。建築様式はおそらく台湾に古くからあるものなんでしょうが、おそらく花博のために作られたものだと思います。花博では各国が庭園を作っていたそうなのでその名残かな?なんて思いつつ。

この場所にいたのは、私のほかには、落ち葉を掃いていた清掃係の人だけ。花博ではきっと多くのお客さんが入って賑わっていたと思うのですが、今は昔のこと。もはや静かに朽ちていくのを待っているようにも感じました。ただ、個人的には、熱狂が過ぎ去って廃墟化していく建物から発せられるうらぶれた感じが好きで惹かれてしまいます。

公園から少し離れて、そばを流れる橋の上から撮った一枚。

時が止まった回転木馬や観覧車がそのまま打ち捨てられていて、私には非常にぐっと来た光景でした。もっと公園の奥へと進むべきだったのかもしれません。

が、私の興味はもうひとつの方へ向かいつつありました。実はメトロが円山駅に差しかかったときに見えた建物が気になっていたんです(メトロと言いつつも高架線を走っていたので景色がよく見えたのでした)。
ちょっと威厳のある、どこか圧さえ感じるような建物に興味が引かれていて、近くから全体を見ることができないか歩いてみることにしたのでした。

その途中に高架下の歩道から見えた景色。

高架下のスペースに銅像が立っているのを遠巻きに確認。ただ、近づけそうにはない。そもそもこのスペースは公園という感じではなく、資材置き場のような殺伐とした印象のところ。ミスマッチ感は否めず、あんなところに何故、と疑問を抱いたまま通り過ぎました。
と書いていたところでGoogle Mapにこの銅像の記載があるのを発見。中国語版のWikipediaで調べてみると、李再春さんという当時13歳の少年が1965年に川遊びをしていて溺れた子どもを助けようとして亡くなっていて、彼の功績を称えるために作られたものだと分かりました。貧しさ故にプールに行けなかったという背景があったことからプールが作られ、そのプールの名前にも彼の名前がつけられていたのですが、道路建設のために閉鎖された後は銅像も行方知れずになってしまい、今のものは2010年に(花博の年だ)再建されたものなのだそう。
それにしても観光名所よりもこういう瑣末なものに惹かれてしまう性分なのはどうしようもないんだな、というのを改めて実感した次第。

さて、目的の建物は高架の道路に阻まれて見えそうになかったので、近づくのは早々に断念して戻ってきました(美術館が目的だったのであまり体力を消耗したくなかった)。
公園のそばには台北のラジオ局がありました。

こちらは花博の当代風な建物ではなく、中国らしい雰囲気の味のある外観をしていて良かったです。

気になっていた建物は、台北市立美術館で展示を見たあと、帰り道に思いがけずはっきりと拝むことができました。というより美術館の前の大通りからふとそちらの方向を見ると、真正面からしっかり見られることに気づいたのでした。あまりのあっけなさに本当にビックリしました。
写真を撮るために近くの歩道橋へ。大変良い眺めでした。

滞在3日めだったから今更ではあるのですが、台湾ってやっぱり中華圏なんだな、そして自分は中華圏に来たんだな、という思いを強くした光景でした。

後々調べてみたら、この建物は円山大飯店という超有名なホテルでした。グランドホテルという名の通りかなりゴージャスな建物のようなので、機会があったら中を探索してみたいです。欲を言えば宿泊もしてみたいですなあ、もちろん。
更に後になって、この円山大飯店は日本統治時代に台湾神宮が置かれていた場所なのだと、ある方に教えてもらいました。上の画像に写っている大通りは、昭和天皇が皇太子時代に台湾を訪問して台湾神宮に参拝したときに通ったことから「勅使街道」と呼ばれていたのだとか。こんな形で日本統治時代の歴史に触れることになるとは思っておらず、今更驚いてしまいました。

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