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ファルマコンを探して (5) バスキアは今も人びとを魅了する

図録をパラパラとめくっていて「おや?」と目に止まったのがこちらのページ。

バスキアの作品「Untitled」ですが、ここ数年現代アートを見ている方はすぐにピンと来たかと思います。

2016年に前澤友作氏が5730万ドル(当時のレートで約62.4億円)で落札した、まさにその作品です。
週刊ダイヤモンド(2017年4月1日号)にはオークションの様子を前澤氏が語っています。

「40億円から始まって、お互いだいたい1億円くらいずつ上げていくのですが、あっという間に50億円になってしまって。だんだんと、相手の決断のスピードが遅くなっていき、ついに落札したときは、ハンマーを振り落とす音が聞こえて、「やった!」と。」

この一件で世界中のアートコレクターに前澤氏の名前が伝わり、あのレオナルド・ディカプリオ氏の自宅にも招かれた、というエピソードも語られています。

ジャン=ミシェル・バスキアは1960年ニューヨーク・ブルックリン生まれ、80年にデビュー、82年には「ドクメンタ」に参加、83年にはアンディ・ウォーホールと出会います。ウォーホールとはコラボレーションも行いますが、87年にはウォーホールが死去。その後を追うように翌88年に薬物の過剰摂取により27歳という若さで亡くなりました。

そんなバスキアもアキライケダギャラリーは東京や名古屋のスペースで個展やグループ展など何度も紹介していました。
アキライケダギャラリーが刊行していたカタログによると「Untitled」は85年の東京での個展に出ていたようです。小島氏はおそらくそこで購入されたのでしょう。「ファルマコン’90」に出品されたときはツルカメコーポレーション所有となっています。

小島氏のブログによると、当時の価格はおよそ3万ドル。当時は1ドル240円前後で推移していたようなので、ざっと日本円に換算して720万ちょっとでしょうか。前澤氏が落札した価格と比較すると驚くような安さなのは言わずもがなですが、横5メートルもの大作(239.5×500cm)にもかかわらず1000万を切っているのは今の感覚でも「安い」と言いたくなります。

アキライケダギャラリーではじめてバスキアの個展が行われたのは83年12月。同年10月には西武百貨店でのグループ展「メアリー・ブーンとその仲間たち」に参加してはいたものの、個展としてはこれが日本初となります。
まさにこのときの個展に出ていた作品が1点、日本の公立美術館に入っています。それが北九州市立美術館の「Bombero(消防士)」です。

バスキアと交際していた女性との喧嘩を止めに入った消防士を描いたとされる83年作のこの作品。西日本新聞の記事によると、当時の学芸員の目に留まって、翌84年に購入。金額もバッチリ出ています。ズバリ375万円。164.8×230cmという大きさでありながらこの価格。美術館だから割り引かれている部分もあるのでしょうが、それにしても安いと感じずにはいられません。驚きです。

プライベートコレクションが多い海外とは違って、日本はバスキアを持っている公立美術館が多いと言われています。
その理由としてバスキアの活動時期が日本経済が上向きで地方に美術館ができていった時期と重なっていたからだと言われますが、それと同時に重要なのは、バスキアを扱うギャラリーが日本に存在していたという事実です。
聞いた話だと公立美術館に入っているバスキア作品はすべてアキライケダギャラリーを通しているのだとか。美術館と同時にギャラリーの先見の明もまた讃えられるべきではないでしょうか。

ちなみに福岡市美術館が所蔵している84年制作の作品は「ファルマコン’90」にも出品されています。当時はツルカメコーポレーションが所有していました。

1996年に小島氏が社長を退任されたあと、社長が何度か代替わりしたときに、会社が所有していた作品は売却されたのだそうです。福岡市美術館が購入したのはおそらくこのタイミングだったのではと推測します。

と、ここまで書いてふと思ったのですが、1990年当時のバスキア人気ってどんなものだったんでしょうか。ブームが収束して本人も亡くなって数年後という時期で、世間一般では言わば「過去の人」だったのかもしれません。

河内タカ氏が美術手帖に寄せた記事「バスキアとは何者か?『黒人アーティスト』というレッテルを嫌った男」には、バスキアの訃報に触れたときの河内氏の心情が書き止められています。そこからは当時のアメリカがもはやバスキアに対する関心をさほど持っていないことが痛いぐらいに分かります。

 1988年の夏、当時ニューヨークに住んでいた僕は、27歳の若さで亡くなったジャン=ミシェル・バスキアの死を『New York Post』が報じた小さな記事で知った。その前年2月に亡くなったアンディ・ウォーホルのときは、同じ新聞の表紙に大々的に報じられていたのに比べずいぶんと控えめな扱いだったが、正直なところそのことにさほど驚きはしなかった。というのも、当時のニューヨークのアートシーンはジェフ・クーンズやピーター・ハリーたちによる「NEO GIO」と呼ばれていた“次世代”作品が席巻していて、80年代前半に活躍したバスキアの存在はすでに薄くなっていたこともあって、少し前までは時代の寵児と祭り上げられていたひとりの黒人アーティストを「27歳の若さでの死」と哀れむように、その死因を報じたに過ぎなかったのだ。

90年代に入ってもアメリカではすんなりと再評価されたわけではないようです。
「美術手帖」1997年1月号のバスキア特集に寄稿された毛利嘉孝氏の「黒人という表象 バスキアの『黒い皮膚・白い仮面』」によると、92年にはホイットニー美術館で回顧展が行われていますが、シカゴ・ロサンゼルス・ワシントンといった主要都市での巡回展は美術館の反対で実現せず、回顧展のあともまともな批評がほとんど見られなかったそうです。
ほかにも「バスキアは、最初にその作品によって有名になり、つぎに有名だということで有名になり、最後に人気がないということで有名になった」と皮肉られ、もっと過激になると「バスキアは本物ではない」「バスキアは詐欺師だった」という言葉まで飛び出して、、、これらはすべて「バスキアがアートシーンにおいて初めて成功を収めた『黒人』アーティストだった、という事実に関連している。」としています。

美術関係者の困惑をよそに、世間一般ではバスキア人気が高まっていきます。その一助となったと言えるのが、96年公開の伝記映画「バスキア」です。この映画の監督はジュリアン・シュナーベル。ニュー・ペインティングを代表するペインターであり、彼もまた「ファルマコン’90」にも参加しています。
日本でもそれを受けて美術手帖は97年1月号でバスキア特集を組んでいます(日本公開は97年6月)。秋には新宿の三越美術館にて「バスキア展」も開催、翌98年には丸亀市猪熊弦一郎美術館に巡回しています。

こうした再評価の流れを受けてセカンダリーでは価格が上昇していきます。
2007年、バスキアのある作品がサザビーズでオークションにかけられました。

「Elaine」という作品です。
218.5×172.5cmというなかなか大きなサイズの作品。出品者はH氏という三重県で広告会社を当時経営されていた方です。H氏は90年頃にこの作品を東京の画廊から購入しました。金額は1500万。ローンを組んで支払ったのだそうです。そしてオークション会社から話を持ちかけられて売却しました。その金額は210万ドル。約2億3000万でした。
どうして詳細が分かっているかというと、いろんな理由から売却の際の所得が脱税として判断されるというニュースになったからなのですが、正直脱税云々はどうでも良くて。1500万が2億3000万へ。コレクターとして夢のある話だなあと思わずにはいられません。
話は更に続きます。前澤氏が「Untitled」を62億で落札して話題になった翌年、2017年に今度はクリスティーズでこの作品はオークションにかけられました。前澤氏の落札で話題になったことを受けて所有していた人が売り時だと判断したのでしょうかね。
(このクリスティーズのページには来歴が詳細に書かれていて、H氏が購入した東京の画廊というのが日動画廊だと知れました。)
結果は595万9500ドル。1ドル112円で計算して6億6746万円。10年前と比べて倍以上、かなり上昇しているのが分かります。

同じく2017年、前澤氏は82年の作品「Untitled」を1億1048万7500ドルで落札しました。日本円にして123億!バスキアのオークション最高金額を叩き出しました。

そうした話題があったこともあり、2019年には森アーツセンターギャラリーにて「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」が開かれました。日本オリジナルで、意外にも本格的な個展は日本初となります。
各公立美術館に所蔵されているものも一堂に介してなかなかのボリュームだったようですが、「Untitled」は展示されなかったようです。もし展示が実現したらおそらく「ファルマコン’90」以来約30年ぶりの日本での発表となっただけに残念です。今後この作品を日本で見ることはできるのでしょうか。

2021年にはクリスティーズが香港で行ったオークションで82年の作品「Warrior」が出品されて、約45億円(3億2360万香港ドル)で落札されたというニュースもありました。

この作品も83年のアキライケダギャラリーでの初個展で発表されたそうです。その後、パリ、ウィーン、ミラノなどで展示され、オークションでは2005年に180万ドル、2007年に570万ドル、2012年に870万ドル、と回数を重ねるごとに着実に価格がアップ、2021年には遂にアジアで開催されたオークションにおける西洋絵画の最高落札額を記録しました。

死後30年以上が経っても人気が衰えるどころか高まりつづける、バスキアはまさに規格外の作家なのだと改めて感じました。

〈トップ画像について〉
ちょうどこの文章を打ち込んでいるときに見に行った「OKETA COLLECTION: 4G」展(スパイラルガーデン)に展示されていた、井田幸昌さんによる「Jean-Michel Basquiat no.4」(2019)。力強い筆致はどことなくバスキアの作風を連想させる?とても良い作品でした。

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