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ファルマコンを探して (12) ふたりの愛で天国へ❤️❤️❤️

前回は「週刊新潮」や「FOCUS」といった週刊誌が「ファルマコン’90」を取り上げた記事を紹介しました。いろんな媒体が展覧会に興味を持ってくれること自体は確かにありがたいわけですが、一方で週刊誌の興味が本当に展覧会そのものに向けられていたかと言うと疑問符がつきます。
いや、はっきり言ってしまえば、下種な狙いが露骨に見え透いていて、その清々しさに思わず笑ってしまうほど。ああ、週刊誌ってやっぱりそういうものね、と改めて認識させられたというか。
週刊誌の狙いはひとりの女性に向けられていました。それがチチョリーナことシュターレル・イローナ氏。あるときはポルノ女優、またあるときはイタリアの国会議員と、多彩な顔を持つ彼女はこのとき、ジェフ・クーンズの“ミューズ”として姿を現しました。

搬入の様子も含めて多数の作家の写真を載せていた「週刊新潮」90年8月9日号の見出しは「Oh!チチョリーナ」。そして本文は、彼女が二度めの来日を果たしたこと、今回は巨大作品のモデルとして来日していて、隣にいるのが作家のジェフ・クーンズであること、クーンズとは映画を制作中であることを紹介し、最後は“「二人は恋人」という噂があるとかないとか”で締めるという、まさにイローナ氏の視点から語られたものばかり。週刊誌(の読者)にしてみれば、気になるのはチチョリーナの動向だけ、ということでしょう。

ちなみに「週刊新潮」はその前週に当たる90年8月2日号でも「ファルマコン’90」を取り上げていますが、その内容には不満が残ります。そもそも記事のタイトルが“チチョリーナも「出品」幕張「現代美術展」のお色気”と若干の事実誤認を含んでいる上に、展覧会が胡散臭いものであるかのような書き方をしています。

「それにしても意外なのは、この展覧会の推進母体ですね」
と銀座のある画廊の主人が不審顔で語る。
「主催はアキライケダコーポレーションとなっていますが、実質的には、名古屋に本拠を置く新興の一画廊に過ぎません。総経費ざっと五億円にも及ぶ展覧会を開く真意は何でしょうか」
協賛企業の一つ、ツルカメコーポレーションというのも耳慣れない名前だが、こちらはやはり名古屋の宝石屋さん。全国各地のスーパーに出店して、「一万円のダイヤの指輪」で人気を呼んでいる会社だそうである。

と、なかなかの言われよう。幕張メッセの写真とともに“会場の借り賃だけで1億8000万円”というキャプションも載せていて、そんなにお金をかけて現代美術の展覧会をやる必要があるのか、と疑問を投げかけているかのよう。やはり現代美術の立場ってまだまだ弱かったんですかね。

それはともかく「週刊新潮」の記事から得られた有力な情報は、ふたりが「ファルマコン’90」の会場に姿を現したのは会期初日となる7月28日である、ということです。

前回も紹介した「FOCUS」90年8月10日号や、第2話で紹介した「美術手帖」90年10月号の写真はおそらくこの日に撮られたものでしょう。

さて、ここからはいろんな雑誌の記事からクーンズとイローナ氏の「愛の歴史」を追いかけていきたいと思います。
「美術手帖」のインタビューでクーンズはイローナ氏の存在を知ったときのことをこう語っています。

イローナをはじめて知ったのは、1987年、とある雑誌に掲載された写真をとおしてでした。
(中略)
で、あるとき、イタリアの高速道路を走っていたら偶然、彼女の姿をもう一度写真で見かけ、そのときついでに彼女の名前がチッチョリーナであることを知りました。

そして「FOCUS」は実際にイローナ氏と会ったときのことをこう書いています。

彼が彼女に出会ったのは2年前。ミラノのストリップショーに出ていた彼女の身体を他のお客ともどもタッチした彼は「彼女こそ生まれたままの女性、永遠の処女だ」と大感激。ショーの後でデイトを取りつけて(以下略)

ふたつの文章の“品格の差”にちょっとクラクラしてしまいますが、総合すると、クーンズがチチョリーナの存在を知ったのが87年、実際に会ったのが88年ということでしょうか。ふたりは意気投合してクーンズの作品にイローナ氏がモデルとして参加します。
「MADE IN HEAVEN」と命名されたイローナ氏との共同作業によるこのシリーズはまず、89年にホイットニー美術館で行われた展覧会で発表されました。アートとメディアの関係をテーマにした展覧会で美術館から屋外用のビルボードの制作を依頼されたクーンズは、当時イローナ氏と制作していた映画の広告看板を作品として出品します。それがおそらく「ファルマコン’90」にも出ていた大作だと思われます。

その後90年の春はヴェネチアビエンナーレに参加、平面と立体の作品を出品します。

画像は「アトリエ」90年9月号より。性器がもろに写っていることもあり、“芸術かポルノか”といった議論を巻き起こしたことは想像に難くありません。もっとも「美術手帖」90年8月号のベネチアビエンナーレ特集にコメントを寄せた美術評論家のC・リー氏によると、

アペルトで聞こえる会話は彼のペニスに集中し「あれは本当に彼のものかね」「どうしていつもたれているんだ」

だったそうですが(笑)。

そして夏には「ファルマコン’90」のために来日を果たします。クーンズの来日はこのときがはじめてでした。
「美術手帖」90年10月号のインタビューでは映画について訊かれ、「公開は早くて1991年の暮れになるでしょう。春には完成するでしょうが、公開となると秋までは無理です」「できるだけ多くの人びとに観てもらえるように思案中です」と答えています。
また、今後の作品の予定を訊かれた際も、絵画や彫刻はそれまでを更に発展させる形で継続して、日本でいい工房や技師さえ見つかれば日本でも彫刻を作ってみたいと語りつつも、やはり今は映画にかかりっきりで映画を完成させることが先決だと語っています。とにかくクーンズの頭のなかでは映画のことが大半を占めていたようです。

また、このときの来日でふたりは篠山紀信氏とのフォトセッションを敢行、「SPA!」90年8月15日・22日合併号に掲載されました。“ニュースな女たち”というタイトルのコーナーなので主役はもちろんチッチョリーナ。和装姿のふたりがまぐわっている、まさしく「MADE IN HEAVEN」の日本版とも言うべき内容です。

ホント、よくやるわ、、、
(ちなみにこの記事には協力としてAC&Tとアキライケダがクレジットされています。)

「美術手帖」のインタビューで結婚はしたのかと訊かれて否定していましたが、ふたりは翌91年に結婚します。
もちろん週刊誌が黙っちゃいない、ということで「FLASH」6月25日号が取り上げています。

左上の画像はマリッジ・パーティーの招待状なんですが、ふたりが裸で抱き合っている姿はウェディングケーキのレリーフにも使われています。

同年秋にはドイツとニューヨークのギャラリーで「MADE IN HEAVEN」シリーズの個展を開催します。とりわけニューヨークのソナべンドギャラリーでの個展は、1ヶ月も前からニューヨークタイムズ誌に新作がセクシャルなものであり18歳未満は入場禁止という内容の記事が載り、オープニング当日は入場待ちの列が3階の会場から屋外まで伸びたのだそうです。

この展覧会の様子を写真付きで紹介した週刊誌は「週刊新潮」91年12月12日号。「18歳未満入場禁止」というタイトルで紹介しています。

多くの観客で賑わっているのが分かります。また記事内では中央の立体作品が39万ドル(当時約5100万円)の値段がつけられていることが紹介されています。

また、美術批評家のジェリー・サルツ氏はこうコメントしています(「美術手帖」14年10月号)。

作品を見た有名ギャラリストのレオ・キャステリの恐怖と困惑の入り混じった顔を忘れられないよ。そのときジェフは私にこう言ったんだ。“ジェリー、イローナのケツの穴は完璧だと思わないか?”って

ネットを検索していたらこの時の展示を見た方の感想がヒットしました。

ハードコアポルノ女優のチチョリーナと結婚して1991年に2人で愛をテーマにしたヌードの作品群を発表した時にニューヨークのソノベントギャラリーのオープニングに行ったのは今でもはっきり覚えている。あんなにギャラリーの空気が騒然として凍りついたようになっていたオープニングは他になかった。

ARTRANDOMというサイトのBITS AND PIECESというコラムより(署名がなく執筆者は不明)。ここでは「ファルマコン’90」の図録が取り上げられているのですが、この方は実際に幕張の展示をご覧になったようでこう書かれていました。

正直なところこの展覧会を見に行った時の記憶はかなり曖昧だ。
きっと凄いアートばかりずらっと並んでいたので逆にどれに決定的な衝撃を受ける事もなく脳が軽い麻痺状態にでもなっていたのかもしれない。
今となっては印象としてはこの展覧会を見た気がしないのだが現にこうしてカタログがあるしなんとなくわざわざ幕張まで見に行ったような気がするのみだ。

第6話でも実際に展覧会を見た方の感想を引用しましたが、漠然とした印象しか残っていないのが共通していて興味深いです。あまりに会場が広かったからか、また作品が巨大だったからか、あるいは作品点数が多かったからか。もちろん、時間が経過したから、というのも大きいのでしょうが。

話を戻します。
「MADE IN HEAVEN」は92年もベルギーとスイスのギャラリーで個展形式で発表され、同年には2人のあいだに息子も生まれました。

お腹が大きいイローナ氏の姿は92年6月に撮られたもの(「週刊ポスト」2017年8月25日号掲載)。

しかし、90年夏の時点で制作に力を入れていたはずの映画は結局日の目を見なかったようです。それが関係しているのかふたりの関係も悪化、息子が生まれた翌年には別居、更に94年には離婚へと至りました。その後もトラブルは続いていて、イローナ氏が共同親権を持っていた息子を連れてローマに戻ってしまったため裁判となっただけでなく、2008年にはイローナ氏が養育費未払いでクーンズを訴えてもいるようです。
こうしたゴタゴタからクーンズはスタジオにあった「MADE IN HEAVEN」シリーズの作品を破棄してしまったと言われています。

とはいえ「MADE IN HEAVEN」はジェフにとっても思い入れのあるシリーズだったのだと感じています。
というのも、ベネチア・ビエンナーレでの発表から20年が経った2010年には、NYのギャラリーLuxembourg&Dayanにて、20周年を祝う展示を行いました。この際に一部の作品は再制作されたようです。
そして2014年、NYのホイットニー美術館で行われた回顧展では、広いスペースを取って18禁の部屋を特別に設けて展示されました。

この回顧展に合わせて「美術手帖」14年10月号ではクーンズの特集が組まれました。クーンズ本人へのインタビューも行われていて、「MADE IN HEAVEN」が自身のキャリアにネガティブな影響を与えたがその経験から得た教訓は何かと問われたクーンズは、少し間を置いたのちにこう語っています。

僕はなんらネガティブな反応などなかったと思っていますよ。あの作品にはさまざまな要素があります。永遠、性、精神的なもの。僕はいまでもあの作品を誇りに思っていますし、素晴らしい経験でした。その後の私生活に起こった出来事については、正直、あまり愉快ではないこともありました。でも、僕の意図や作品はいつだってポジティブなのです。作家としての自分を否定するような影響があったとは思えないし、観客とのコミュニケーションを大切にするという点では、より理解が深まったと考えています。

30年にもわたってクーンズを支え、90年代に「セレブレーション」制作への出資をしたときは作家ともども破産寸前にまで追い込まれたというジェフリー・ダイチ氏も、「MADE IN HEAVEN」には肯定的なコメントを残しています。

「メイド・イン・ヘヴン」は1990年のベネチア・ビエンナーレで最初に発表され、大変な熱狂を受けると同時にクーンズの評価を下げます。それはこの作品のもつ過激さが、アートワールドの許容量を超えてしまったからで、「もう彼の作品は買わない」と多くのコレクターが言っていました。一方、彼は同作で別のステージに進んだと言える。ビエンナーレ中、2人が観客の前に現れた場面があったのですが、彼らを迎えた声援はまるでビートルズに対するそれのようでした。要するにクーンズはこの一件でメインカルチャーの一員になったのであり、その段に至って主要な雑誌や新聞が彼を酷評したとしても、そこにはもはやなんの重要性もありません。

特集内には論考がいくつかあるなか「MADE IN HEAVEN」の評価は見事に割れていて、そこがまたこのシリーズの面白さではないかと感じました。

話は変わって。
これまで何度か「ファルマコン’90」のために制作されたバッグのことを話題にしてきました。クーンズも参加していてズバリ「MADE IN HEAVEN」をモチーフにしています。
この文章を書くためにいろいろ検索をかけて何か情報が出てこないか調べていたら、東京で開催される展示のページが出てきました。どうやらエロをテーマにした展示のようで最初はスルーしていたのですが、たびたび引っかかってくるのでそのページをざっと確認することにしました。
すると、、、

クーンズのバッグが出てきました。
まさか展示されているのでしょうか。
タイミングの良さに驚いてしまったのですが、生で拝める機会はなかなかないでしょう。ということで、会期中に上京する決意を固めました。

4月某日。
私は秋葉原にいました。
総武線の高架下をしばらく進んでスペースに到着。秋葉原駅前のスペースとここの2会場で開催されていた「nuranura展2021」というのがお目当ての展覧会です。
何だか雑然とした雰囲気のスペースで果たしてここに展示されているのか?と思いながら進んでいくと、スペースの奥にバッグが本当に展示されていました。

やっぱりと言うべきなのか立派なアクリルボックスに入っていました。台の赤いベルベットっぽい素材の布がキッチュさを増大させていて好感度大でございます。
裏面は見られなかったのですが、かがみ込んで下面を覗いてみると青地で隅に黄色の文字で撮影者のクレジットが入っているのを確認できました。
やっぱり実物はすごいねえ、と思いながらキャプションを見ると、そこには販売価格もしっかり記載されていました。

ズバリ1,000,000円也。

……はあ、やっぱりねえ。
予想していたとはいえ思わず溜息が出てしまいました。もう全然手が出ないです。
本当は関係者にバッグの来歴とか聞いてみたかったのですが、ちょうどバタバタと慌ただしくされていたので声をかけられずじまいでした。いったいどんな方が保有されていたんでしょうかねえ。

聞いた話ではこのバッグ、オークションでは400万で落札されたこともあるのだとか。いやはやクーンズの人気はさすがですなあ、と言わずにはいられませんでした。

と、書いている最中に気になるツイートを見つけました。

かつて「MADE IN HEAVEN」を発表したことで作家生命の危機を迎えつつもその後に華麗なる復活を遂げたように、これからまた観る者を驚かせるような作品が彼から生み出されることを個人的には期待していますし、クーンズなら絶対そうしてくれるだろうと思っています。

〈トップ画像について〉
Andy Dixon「Jeff Koons Made In Heaven Tote(1990)」(2018)。ネットで検索してたまたま見つけた、クーンズのバッグをモチーフに描かれた平面作品。
左上の「PHARMAKON’90」やクーンズのサインまできちんと再現しているのが笑えます。エディションは11/50。いったい誰が所有していたものをモチーフにしたんだろう。オークションに出たものなのかな、なんてつい想像してしまいます。

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