生きていることを実感する方法

正直、大学の4年間は生きた心地がしなかった。将来に対する漠然とした不安や、何のために大学に来たのかなど、様々な感情が常に渦巻いていた。

しかし、その中でも、人生の時間を有効活用するためにいくつかのルールは設けていた。

例えば、バイトは最小限にする。

それぞれ家庭の都合などでバイトをしなければならない人もいると思うし、実際僕もそうだったのだが、僕は時給800円程度で働くことは時間の無駄遣いだと考えていた。なので給料以外にも新しいスキルが得られそうなバイトをやったわけだが、それに関しては以前のnoteに書いた。

やりたいこと以外にはできるだけ時間を割かないことも徹底した。

なのでほとんどの時間を卓球の練習に費やし、後はビジネスや釣りなど、熱中できることに費やした。その時は本当に体が四つくらいほしかった。大学の四年という期間はとても貴重な貴重なものである。

そして、大学の勉強は自分には必要ないと思ったので、できるだけ時間をかけずに単位を稼ぐことだけを考えた。その時にお世話になった友達や先生には本当に感謝している。

なので、大学時代の生活に悔いはあまりないが、それでも、将来の不安からか、心は安らかではなかった。

僕が今までの人生で最も生きた心地がしたというか、充足感を得られていた時期は、大学受験の半年だった。

僕は五月の後半まで現役で部活をしていて、引退後も体育祭のパネル長だったので、それが終わった六月の頭から受験を始め、高知工科大学はほぼセンター試験試験で決まるようなものなので、1月までの約半年間、箱詰めになって勉強していた。

普通はつらい時期かもしれないが、僕にとってはとても充足感のある毎日だった。

理由を自分なりに分析してみると、それは、自分のやりたいことと周りから求められていることが一致ししていたからではないかと思う。

受験前は卓球を頑張っていて、部内では認められていたし、周りも応援してくれていたが、進学校である以上、成績が悪い奴はゴミ、みたいな風潮があったし、中学時代や入学当初は成績上位だったが堕落し続けたことで完全に自信を失っていた。

高校一年生までは成績優秀で、国公立の中でもレベルの高い大学に行って将来も安泰、と思っていたのに、高校2年にしていきなり成績が地に落ちたため、常に絶望していた。

周りから見ても、「お前は、絶対国公立は受からない」と冗談だがバカにされたり、先生にも「国公立は現実的ではないから私立を考えましょう」と言われた。結果的に国公立は4校A判定という超楽勝な結果だったが、僕は本当はもっと上の大学に行けるとすら思っていた。

結果的に志望校ではなく余裕で行ける高知工科大に甘んじたので、自分の中では受験は失敗だったのだが、周りから見たら、国公立に行けただけで大成功であった。

つまり、受験期は、自分的には確実に成し遂げられることで周りを一泡吹かせることができて後輩たちにも尊敬されるということが目に見えていたので楽しかったわけだ。

その時の再現性を今でも探している。

高校時代は成績のことで常に悩んでいたが、結局それは全く無駄な心配だったわけだ。だから大学でも無駄な心配に時間を使わずに、(例えば念のためにいらない授業を取るなど)やりたいことに注力したというわけだ。

三カ月ニートをしてみたが、結論を言うと、一人で生きていく、ということが一番プレッシャーがないと思った。ビジネスで結果を出せば心のしこりは得ると思っていたが、ビジネスをやるための土台として、まず心のしこりのい除く作業が必要ではないかと、今は考えている。

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