人の心は人にしか満たせない
朝、テレビで見たこの動画がなぜか涙なしに見れなくて
「あ、私今悲しいんだ」と気付きました。
時折こうやって、感情より先に行動に現れてしまって自分の気持ちに気づく事があります。
医療関係者でもないのに。こんな立場の私が感謝の言葉を軽々しく口に出せるわけもない。
ただ悲しいという想いが沸き上がってきた自分自身に気がつきました。
私は多分、「人」がとても好きです。
スーパーに買い物に行くにも、近所のクリーニング屋に行くのでさえも会話が生まれる。会社や学校に行けば当たり前のように言葉を交わす人がいる。言葉を交わすというのは気持ちのキャッチボールです。
いつものコミュニティを抜けて、ちょっと知らない場所に行くと、自分が動き出さなかったら決して出会うことのなかった人と繋がれる。長いように思えて短い一生でつながれた人との出会いは、きっと奇跡のようなものです。
そうやって誰かと、言葉や笑顔や行動や息づかい、全てのボディランゲージを通じて気持ちのキャッチボールができるのがすごく好きなんです。
私が誰かを思って相手も思ってくれたら、温かい気持ちになるから。
その人のお陰で自分の辞書になかった「知らない事」を知れたら、自分の狭い狭い世界がちょっとでも広がったように感じるから。
「あ、この人は心を開いてくれるんだ。」と思えたら、ちょっと息をつける居場所が心の中にできるから。いつもはみんな孤独に一人で頑張って生きているから、息をつける場所があるのはすごく大事なこと。
そうやって人が一人では生きていけないことを知っているから、今こうやって人となかなか繋がることのできない状況を、悲しいと切実に感じているのだと思います。
オンラインでなら時差があっても、地球の反対側でもどこにいても繋がれる。便利な時代です。会議だってライブだって画面を通していくらでも行えます。何不自由ない時代において、私達は最低限の経済活動をストップするのみで現に生活を回していけています。(未来は予測不能ですが)
しかしそこにある、物足りなさ。満たされない感情の正体は何でしょうか。
私たちは今後も、人と人とが現実世界において会って言葉を交わす事なしに幸せに生きていけるのでしょうか?
あなた心は今、満たされていますか?
問いかけてみてください。
圧倒的に自分にベクトルを向けて、心の状態を気にかけてみてください。きっともっと素直に、自分の心を満たそうと行動できるはずです。
どれだけ世の中が便利になっても、きっと私たちは誰かを思いやる気持ちを行動で示したり、自分の気持ちを受け取ってもらうキャッチボールなしに、自分たちの心を満たせないのだと思います。
その手段は、実際に会って伝える事で。話す事で。
本当の意味で想いを受け取り合うには、それ以上の手段はありません。
私たち1人1人は、孤独だけれど誰かを頼ってしか生きられない人間らしさを持っています。それが人の尊さなのだと思います。
最近は多くのアーティストや著名人が、人々への想いを音楽やコンテンツに乗せて発信しています。彼らにとっては得意とするそれが感情を共有する、最善の手段なのです。
会う事には勝らなくとも、文字以上の手段で私も「人」に想いを伝えていこうと思います。
それが今私の心が求めているものなのだと感じます。
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