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自己紹介と前書き

おはようございます。自己満足で朝から文章書いてます。

Twitterでだらーっと書き出すのも良いんですが、前々からnoteが面白そうだなって思ってたので、書いて見ることにしました。不定期な日記みたいなものにしたいなと考えてます。

こんな末端のnoteなんてかなりの物好きでもなければ見ないとは思いますが、誰も見ないと仮定して思いついたことを気の向くままに書いていければ良いなぁと思っています。文を書くのは好きなので。手書きは嫌いですけどね!


さて、本題の自己紹介に入ります。学歴から書いてこうかな。

物心つく前から保育園にいた私ですが、当時の私はかなりのクソガキだったらしいです。女子のスカートをめくるとかやってたという話を後で聞きました。全く覚えてないんですけど.......。それと当時は嫌いな物も無く、野菜でもなんでも食べていた、というような記憶はあります。


その後ある時、幼稚園に編入?する事になります。どっちの記憶もあるわけですね。まあここでの大した話もあんまりないんですが、二つだけ。この頃、同い年の奴に虐められていたんですよね。朧気ながら覚えている記憶なんですけど。ちなみに虐めていた奴は違う小学校に行きましたが、そいつの事はまた後で話すので、覚えておいてください。あ、あとサッカークラブに入ってました。鹿島アントラーズで一緒に入場するやつとかやってました。そんなに上手くはなかったんですけどね。


まだ終わってませんよ。次は小学生の頃の話ですね。このあたりから覚えている記憶が増えてきますね。ポイントポイントで話していくと、小三でサッカークラブをやめる事になります。当時のサッカークラブに所属していいのが三年生までだったからです。後に六年生までいいよ!ってなるんですけどね、戻ったりはしませんでした。

あと、小三~四で乗馬クラブに入りました。親がそっちとの関わりがあったのと、まあ恵まれていたからですね。月あたり一万だか三万くらいかかってたはずです。地方のジュニアの大会に出たりもしつつ、同じ乗馬クラブに通う女の子二人と仲良くなったりもしました。多分私は小五でインフルエンザにかかって乗馬クラブに行かなくなってから行きづらくなってやめたんですけど。

まあサッカークラブに入っていたり乗馬クラブに入っていたって事がここまでの大まかな流れです。

ちなみに当時はかなりの陽キャで、昼休みは必ず外に行って遊ぶし友人を六人とか家の狭いプレハブに呼んでPS2で遊んだりとか、女の子の家に行ってモンハンするとか、毎週のように友人の家に遊びに行ったりとか、マジで陽キャでした。でした。

転機は小四か五あたりでした。パソコン部に入ったのがきっかけで、パソコン教室に通ったりし始めて、沼に浸かり始めました。陽キャの転落劇が始まります。

とは言いつつも小学校の頃はそこそこやんちゃで、友人の家のあるマンションでエアガン持って銃撃戦してました。学校の隣のマンションで。苦情が入ったのか秒でバレて、後日の授業中に実行した友人たちと個室に連れてこられて、2~3時間怒られ続けました。あの時は授業を妨害してしまってすみませんでした!!!!!!!!


そんなこんなで無事(?)小学校も卒業し、公立の中学校に入学する事になります。おや、なんとなく聞き覚えのある名前があるな?そうです、僕を虐めていた奴との再会です。

相手も俺の事を覚えていたのか、ピンポイントで虐めに来ました。俺の事、そんなに好きだったのか...?(キュン)(キモ)ちなみにめんどくさくなって相手がやってくる事にめんどくさくなって溜息付きながら無抵抗にしながらせんせー!!!って泣きついたら(泣いてないが)一瞬で虐めは終わりました。なんだったんだあいつ。

当時の中学校が結構荒れてて、高校入ってからも中学校の名前を聞いただけでヤンキーwと弄られるくらいの雰囲気の学校だった、というのが背景の一つでした。

そして陽キャからの転落劇の続きです。学校は荒れてて、校庭にいるのはヤンキーっぽいやつばっか。学校でマンガを読むのは禁止され(ごめん話戻るけど小学校の頃から毎日のように図書館に行って(毎日ではない)毎日のように借りて死ぬほど読書する人間だったのを記載し忘れてました。)てしまい、あんまり好きじゃなかった小説を読む事になります。ラノベに秒でハマって休み時間も校舎から出なくなりました。

それに伴い、陰キャに転向しつつ小学校で仲が良かった何人かとも縁が薄くなっていき、名実ともに陰キャに成り下がりました。あんまり関係ないんだけど中学校で二回くらい恋して一回告白して玉砕しました。この人いい人すぎるんよ。今でも好きです。(キモい)(多分これが原因で中学校時代の友人(女)を数か月前に一人失った)

話を戻すね。陰キャではあったんだけど、まだ割とヤンチャしてました。宿題をやらないとか小さなものばかりだったけど、教師との確執は増え、学校にいる事自体が苦痛になっていきます。それに伴って家でネットにのめり込み、また宿題をやらなくなって親にも怒られるという無限ループに陥ったりしました。

まあその中でも数人だけ、感謝してる先生がいるんですね。

英語の先生と、音楽の先生と、二年の頃の担任の先生。

英語の先生は、小学校の頃から英語が大嫌いだった俺を見捨てずに教えてくれて、最後には頑張ったねって褒めてくれました。それだけなんですけど、おかげで英語は嫌いじゃなくなりましたよ。今もネットサーフィンしててよく使うしね。

次に、二年の頃の担任の先生。サッカー部の顧問でもあって、若めで怒ると怖いような先生だったんだけど、PCとネットにのめり込むのも知りつつ、俺自身の良い所をより伸ばそうとしてくれてたみたいです。詳しくは知らないんですけど、親はそう認識してたみたいですね。パソコン部だったりもあってWordとかExcelで資料作ったりするのが結構好きで、二分の一成人式じゃなくてなんかそんな風の、親に感謝をする場面があって、体育館でやったんですけど俺の親は俺が隣にいなくて不安だったようです。何してたかって?前でスライドショーポチポチしてました。それがその先生のおかげだったりしたらしいですね。

最後に、音楽の先生。まあ昔からそれなりに音楽は好きだったのですが、この先生のおかげで更に好きになりましたね。何に感謝してるかって言うのはすぐに出てこないんですが、その先生の、No Music .No Life!みたいな言葉が今もずっと残ってて、私の人格の一つを形成するパーツみたいなものになってます。

逆に一番嫌いだったのは三年の頃の担任。当時の私は若干不登校気味になっていたのもあって、それを担任は良く思わない訳ですよ。んで朝起きて行かずにいると、母が不在の間に家に来るんですよ。強くは言えない祖父と祖母の前で家に乗り込んできて、腕を引っ張って怒鳴りながら連れて行こうとするんですよ。もうマジでイカれてたねあいつは。物事には限度があるだろ。

結局、対応に困った祖母が母に電話して、母から先生に帰ってと伝えて帰ってもらう事には成功したんですが。いや、百歩譲って学校に行くにしても、先生の車で行くとか絶対何かあるし他の生徒に見つかったら絶対何か言われるだろ。余計にやだわ死ねばーかばーか!!!!!!ってなってました。まあ後ほどちゃんと復帰するんですけどね。

勉強の話をしましょうか。当時から特に行きたい高校も無かったんですが、それとなく工業に行こうかなぁ、と思ってました。その学校の合格ライン、290くらい/500。偏差値は40~45くらい。俺の学力もとい点数、200/500。いや平均点40点ってエグいて。馬鹿でした。頭が悪かった(直球)

まあ焦りまくったあげく苦手な英語と数学を何とかするために色々やってなんとか工業に受かってついでにそのワンランク上の学校に推薦で受かってました。ここ、失敗ポイントですよ。やればできるんだ、と認識してしまいました。今も引きずる失敗ポイントですね。


そんなこんなで、高校に入学します。好きだった女の子とか、仲良かった友人とかまだギリギリLINEやらTwitterやらでこの頃は繋がってました。

工業高校、入ったのは電子科でした。中学校で良い先生に恵まれず、死ぬほど最悪な気分でスタートした高校生活。じゃんけんで負けて応援団に入ることに。待って、耳悪くて集合場所とか聞き逃したし場所知らんし....で数日が経過します。

当然呼び出されるんですね。先生「なんで行かないんだ!」私「知りませんでした......(行きたくなかったから調べる事もしなかった)」

まあ担任はめっちゃ行けって言う訳ですよ。そこで流れてくる風の噂。どうやら隣のクラスの奴が応援団やめたらしいよ。

後に仲良くなる同じクラスの応援団の奴(同じくじゃんけんに負けた)と応援団の先生に謝罪と辞めたい旨を伝えに行った結果、やる気ないなら辞めていいよ、と。あっさり嫌だった事をやめる事に成功。俺氏、ここで高校を見る目が変わる。あれ???中学校に比べて良い先生もしかして多い?

電子科の工業なだけあって、実習とかあるわけですよ。それがあればレポートもあるんですね。もうこれが週一でめんどくさいしもうマジ色々とめんどくさいのよ。手書きだし多い時とか余裕で10枚行くし、基本毎週だし。その上でそれを見る先生の目が死ぬほど厳しいの。40人提出したら30人くらいは返される奴。誤字脱字ミス感想の文字の少なさ、めちゃくちゃめんどいのなんの。その先生を俄かに嫌いになりつつも、結局はめちゃくちゃいい先生だったんだよな。俺が三年かな?に上がる時には居なくなっちゃったけど。惜しいなぁ。

なんで良い先生だったかって、その先生から教わった資格の勉強ってほぼ100%受かるってくらいめちゃくちゃ死ぬほど教えるのが上手いんよ。レポートの再提出で恨みつつもその先生は好いているという状況になったりもした。そして思う。あれ???中学校に比べて良い先生もしかして多い?

まあ色々あって二年になります。あんまり話したくない事が多い時期だったので短めにまとめます。

VRCを始める。病む。祖母が死ぬ。病む。中学の頃の好きだった人に失礼なことをしてしまう。申し訳なくて縁を切る。

こんなもんです。あ、ちなみに高校では三年間、アマチュア無線部に入ってました。この話はDLCコンテンツなので思い出したらまたnote書こうかなと思います。

高三になったわけですが、まあ工業高校なのでバチバチに就職が多いのよ。一学年で200人だか240人だか(忘れた)でしたが求人社数が1000社以上、求人人数にして2000人以上というヤバくね?という感じでした。

まああんまりやりたい事も無かった俺だったので、就職する方向で居ましたが、VRCの経験から3D系やりたい!と思ってしまうんですね。まあこれは良いとしてもその後が失敗だったわけですが。

まあ色々あって専門学校に入りました。

書くの疲れてきたので大雑把にまとめますね。

一年、課題に追われながらそこそこ頑張る。

二年、課題に...無くね?あんまり学校行けんし。(コロナ禍)え?もう就職しなきゃいかんの?マジ?ヤバ(三~四社に送るも落ちる)アッ(死)

就 職 失 敗

そうして2021年3月に卒業、四~七月をほぼ無為に過ごして実家でニートとして苦しんでいる。という流れです。

あ、中学校の頃の好きだった子のその後の話なんですが、恐らくそこが原因で俺が好きだった子を狂信する俺の友人(女)に嫌われてブロックされたりありつつ、その好きだった子が言うには、「あの時の事は確かにアレだったけど、わざわざ縁を切らなくてもよかったのに...(意訳)」が別の友人経由で伝わって来たり、「成人式で会ったらまた繋がろうと思ったのに成人式無くなってもう繋がれる気がしない」等と別の友人経由で伝わって来たりしました。いい人過ぎてまた話せる気がしないよ。

まあなんやかんやあって、俺がやる事やったらまた話に行きますね、とだけ伝えて今に至ります。やる事?就職だよ!!!!!!!(ニートとして話に行くのは流石に恥ずかしいじゃん)


というのが私の大まかな人生でした。ちゃんちゃん。こんなところまで読む人おるのかな、多分少しはおるんだろうな。何故か俺を未だに信じてくれてる人とか居るし、マジでどうしようもない人間なんだけどな俺。

でも、そのうちまた前を向いて歩くよ。今はうつ伏せで五体投地で立ち止まってるけどさ。

ちなみに、色々あってTwitterで未だに繋がっている(話さない)友人は一人だけです。他は大抵ブロックしたかされてます。専門学校時代のは全員ブロック、中学時代はブロックされたのと他はブロック、高校時代はそいつを除いてブロックという感じです。人間関係切りすぎなんだよな。気楽でよろしい。

ちなみにまだ繋がってるやつ、スプラでフォロワー一万人くらいで大会も何度も出てそれなりに有名人になってて尊敬してる。

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