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無生物に心はあるのか

無生物に心はあるのか?

この問題が哲学的問いとして議論された歴史があるのかどうかはさておき、一人のボウラーの意見としては、ボールと心を通わせることなしに、ボウリングをまともに行うことは困難ではないかと感じている。


ボウリングを行った最初の日本人が坂本龍馬だということは、極めて有名な話であろう。剣の達人たる坂本龍馬のボウラーとしての世界観が如何なものだったのかということは、多くの人の想像力を掻き立てるものがある。


さて、そうした幕末の出島とは打って変わって、今日のボウリング環境は、実にシステマチックである。


まず、ボウリングを志す人は、近くのボウリング場に向かうであろう。そして、ボウリングを嗜むためには、「プロショップ」と呼ばれるボウリング用品専門の売店のようなところで、ボールを購入することになる。
ボールには、各国の国旗や漫画のキャラクターを透明の樹脂でコーティングしたようないい感じのものから、単色のシンプルなものまで様々あり、見る人の目を楽しませる。


そうした色とりどりのボールに魅了され、プロショップに足を踏み入れると、腕につける金属製のプロテクター的な何某か(「メカテクター」と呼ぶ)や、履くだけでウマくなれそうな気がしてくるシューズや、奇抜なデザインをしたポロシャツなど、多種多様なグッズが所狭しと並べられており、思わず財布の紐が緩んでしまいそうになる。


そんなプロショップをどんどん奥に進んでいくと、コワモテだが実は心優しいおじさんが、今まさにボウリングを志さんとする我々を、暖かく出迎えてくれる。


「あの、初心者なんですけど…」


これから始まるボウリングライフに心を踊らせながら、同時に新しい環境への不安な感情が入り混じる、複雑な気持ちで、あなたは、その素敵なおじさんに声を掛ける。


何も言わずに入り口の方に向かっていくおじさん。その背中は、無言ながら「おれについて来い」と呼びかけてくれているような、そんな頼もしさを、あなたは感じる。


「これは手前が行ってくれるんだけどなぁ…。暴れやすいから難しいかぁ…。レンコン選ぶしなぁ…。最初だし、オーソドックスで…行く?」


おじさんのヨクワカラナイ呪文に言われるがままに頷いていると、三つほどのボールをお勧めされる。そして、あなたは、その中で気に入った綺麗なコバルトブルーのボールをチョイス。よくわからないがおじさん曰く、あなたが選んだボールは、「比較的オーソドックスで扱いやすい」らしい。とは言え、15ポンド…。重すぎないだろうか…。そして、ボールを選び終わったときに、あることに気づく。


ボールに穴が開いていない…


何事もなかったかのように、あなたの選んだボールを奥に運んでいくおじさん。


再びおじさんについていくと、先ほどのテーブルの上に、何やらボールを乗せる台のようなものが置かれている。ボールの曲面に沿うように設計された物差しのような部分もあり、ボール表面の何かを計るものらしい。
おじさんに言われるがままに、利き手を見せたり大量に穴のあいた黒いボールに手をあてがったり…。そうこうしているうちに、おじさんは、あなたの選んだボールに色鉛筆で線を引き始める。

そう。これは、あなたの利き手にピッタリとフィットするように、世界で一つだけの、あなただけのための指穴を開ける工程なのだ。
諸々の作業を終えると、おじさんは、さらに奥にある器具にボールを固定し、電動のドリルで穴を開け始める。そして、開けた穴に、ゴム製の短いチューブのようなものを入れている。どうやら作業終了のようである。

「ちょっと振ってみようか。」


あなたは、作ってもらったボールの指穴に指を入れ、周りに気をつけながら、スイングをしてみる。

「え!?うそやん!!」


思わず叫んでしまうあなた。それもそのはず。15ポンド(約6.8キロ)もある丸い塊を、いとも簡単に振り回せてしまったのだ。それも、あなたの手にピッタリの穴を開けてもらったお陰で、ボールが掌に吸い付くようである。
早く実際に投げてみたい。こんな秘密兵器を投げてしまったら、どんなスコアを叩き出せることだろう。想像するだけで、気分が高揚してしまい、思わず口角が緩んでしまう。


さらに、おじさんにお勧めされるがままにシューズも購入し、早速ゲームを予約する。


幸い空きレーンがあり、すぐにゲームを始めることができた。さあ、いよいよ、手に入れたこの新しい武器で、18メートル先にあるピンをなぎ倒してやろう!!


実はあなたは、今日のこの日のために、動画検索サイトで初心者向けの動画を幾つも見ており、脳内シュミレーションでは完璧な投球フォームを身につけていた。


ボウリングの基本は四歩助走。まあ、仮にあなたが右利きだとしよう。ボールを持つ右手と右足を同時に前に出し、振り子の原理でボールが最下点を通過すると、左足が進む。そして、ボールが後ろまで来ると、今度は右足が前に出る。そして、後ろから前に、ボールが戻ってくる勢いを利用して、左足で踏ん張りながら、ボールを勢いよくリリースするのである。


さあ!いよいよ、マイボールとマイシューズを手にし、ボウラーとしてのデビューの時がやってきた。手に吸い付く新しい武器を手に入れたあなたは、「アプローチ」と呼ばれるレーン手前の助走スペースに立ち、構える。そして、脳内シミュレーションを実現すべく、いざ、投球を開始する…
と…


ここでようやく、あなたは異変に気付くのである。脳内シミュレーションが、全くもって機能しない。


考えてみれば、当然の話である。15ポンドもある重い球を、自分の歩行のリズムに合わせて振り回そうとしても、うまくいくはずがない。
勿論、あなたが余程の筋肉マンであれば、多少は話は変わってくるかもしれない。しかし、仮に15ポンドを軽々とコントロールできる者であっても、ボウリングのレーンというものは、鉛筆の芯の上に球を転がすようなもの。余程の筋肉マンであり、かつ、繊細なコントロールができる者でない限り、まともに18メートル先のピンにボールを届けることは困難である。


そこであなたはようやく気付くのである。


ボウリングとは、何という理不尽なスポーツであることか_|‾|○ 筋肉をアホみたいに鍛え、その筋肉でもってアホみたいにコントロールを鍛えなければならないのか…。それくらいのことをしないと、ボウリングを楽しむことすらできないというのか…。


さてさて。聡明なあなたは、もうお気づきかもしれない。そう。冒頭の問い。「無生物に心はあるのか」。この問いに仮にyesという回答を用意する可能性があるのであれば、あなたは、筋肉マンになることなく、ボウリングを深く楽しむことができるようになるかもしれない。


要するに、ボウリングとは、ボールとの対話なのである。


かなりの重量を持つボールは、単純に言えばあなたの腕を「ヒモ」にした振り子運動を行う。それは、動画検索サイトでチュートリアルを検索すれば、誰もが口を揃えてそう言っていることがわかる。しかしながら、振り子運動の「ヒモ」の役割を担うあなたの腕は、あなたが意識するしないに関わらず、無意識的に収縮運動を行う。要するに意識せずとも「力が入ってしまう」のだ。

そうなってしまうと「振り子」どころではなくなってしまい、ボールは、行き場を失う。あなたは、ボールが「行きたい」と思う気持ちを妨げてはならないのである。


もしもあなたの腕がボールの意思を尊重でき、ボールの行く手を妨げることがなかったならば、そのとき、あなたは面白いことに気がつく。
あなたがボールを振り回すのではなく、ボールがあなたを振り回すのである。
さらに面白いことに、ボールの動きに合わせて、自分自身の体が勝手に動き出すのだ。


まさにこれが、ボールがあなたを受け入れ、二人が「ひとつ」となる瞬間である。


筋肉でボールを支配しようとするならば、あなたは、どこまでも、細部に至るまで、ボールを力で支配し続けなければならない。しかしながら、一度、ボールというものの意思を尊重したならば…。世界はボールを中心に動き出す。体が勝手に「適切な動き」を始め、あなたは、考えることなく、無理に力で支配することなく、体の細部に至るまで、ボールが勝手に「考えてくれる」のである。あなたはただ、ボールの声を聞き、それに自分を委ねるだけで良い。ただそれだけで、あなたの世界は動き出す。


無生物に心はあるのか?


そんな問いは、一人のボウラーでしかない自分には与り知る話ではない。しかしながら、一度、ボールの気持ちを考えるということを行えば、あなたの世界は動き出し、細部に至るまで、ボールはあなたを適切な方向へ導いてくれる。
無生物に心があるとするならば、そういうことなのではないだろうか。

(2016年12月5日 facebook投稿より)


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