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研究者が社長になる理由 AIに生命を吹き込む研究者が語る夢

本日、9月3日のドラえもん生誕を記念して(自分の誕生日という区切りでもあるので)、普段考えていることを、一人の「研究者の生き方」論としてまとめてみました。先の見えない今、「生き方」を考えるヒントになれば幸いです。


研究者が必ずぶつかる「社会に役立つことをしたい」という葛藤

昨今、AIやデータサイエンスなどのデジタル技術が脚光を浴びているなか、研究が社会の役に立つのはアタリマエに感じられるかもしれません。ところが、実際の研究現場はそうではないのです。なぜなら、すぐに社会の役に立つことは、世界で他に誰かが行っていることが多く、「論文にならない」からです。

研究者は、まだ世界中の誰もが行ったことにないことを、少しでも早く行うことで、それを論文という形で発表することができます。研究者が優秀であるかどうかは、論文によってのみ判断されます。だとすると、役に立とうが立つまいが、とにかく、誰もやったことのないことを探し当てることが、研究者に求められます。

そうすると、必然的に、重箱の隅をつつくような、つまらない研究が多くなってしまいます。そして、研究者たちは、「生き残るために」と、誰の役にも立たない研究を行い、論文誌に載せるためのテクニックを磨くことにばかり、多くの時間を費やします。

博士号を取得し、一流の研究者として活躍しようという夢を持って大学院に進学した私は、研究者のこうした状況に非常に大きな疑問を感じ、大学ではなく、企業で研究を行おう、もっというと、将来は自分で会社を興して、社会にとって意義のある研究者たろうと考えるに至りました。

実は、研究と経営は、切っても切れない関係にあります。大学で研究活動をしようが、企業で研究をしようが、必ず必要となるのが研究費です。大学の研究費は、国からの予算なので、私たちが普段お買い物をするときに支払う消費税を含む、税金から出されています。だとすると、研究者が、私たちにとって意義のある研究をしているのかどうか、単に彼ら彼女らのキャリアのためだけに意味のない論文を書いていないかどうかは、もっと問われて然るべきです。

自分で会社を興して研究を行うということは、会社のビジネスと、研究のすべてに対して、自分自身で責任を負うということです。その活動が社会にとって意味のないものと判断されれば、会社の経営はたちまち傾きます。一方で、その活動が社会に受け入れられれば、会社も大きくなり、その中心である研究もまた、大きなものになっていきます。

研究は、みんなの夢を乗せた投資

実際、お買い物をする際の消費税に、そこまでの想いを描いている人はほとんどいないかもしれませんが、その税金から研究費が捻出されているということは、みなさん一人ひとりが、研究に対しての投資を行っているということです。

だとすると、研究者が、最初に取り組まなければならないことは、何なのでしょうか?

それは、研究を続けることによって、この先、どんな夢のある未来が実現するかを見せることです。すなわち、「でっかい夢」を描いて、それを、多くの人に魅力的に伝える必要があります。

そのうちの一つのやり方が、本を出版して、その中に、研究を続けた先の未来を描き、多くの人に読んでもらう、という活動があります。そして、その夢に賛同する人が現れたならば、それを一緒に実現するための仕組みが必要です。

私は、前職を独立してすぐに、こうした自分の夢を一冊の本にまとめる作業に着手し、処女作となる「人工知能の哲学」を出版し、ただAIや新しい技術を使うだけではない、人間社会を豊かにする技術のあり方を描きました。

そして、これを読んで下さった多くの会社の経営者さんや役員さんが、自分の会社でもこのような考え方を持てるように社員を鍛え上げたい、あるいは、こういう考え方によってAI技術開発を推進していきたい、と、お声がけ下さるようになりました。

時代は今、自らのビジョンによって多くの人を魅了し、新しいプロジェクトを興せるリーダーシップ溢れる人を求めています。私は、自分自身の研究活動によって得られた多くの「気づき」を伝えることで、そうしたリーダーシップ溢れるビジネスマンを増やす「人材育成」という活動を、自分自身の会社の活動の中心に位置づけ、主力事業としています。

会社では、どんなことをやっているの?

少し、昔話をしたいと思います。

前職のNEC中央研究所で行った活動のなかで、今でも私自身の骨肉になっている活動がありました。

「脳の研究をしてこれまでにない新しいコンピューティング・システムを研究したい」

今でこそ、AIの研究というと「いいですね!具体的にどんなことをやるんですか?」などとポジティブな反応をされますが、私たちのグループが研究提案を行った2009年当時は、今とは真逆でした。

「AIというのは過去にも多くの取り組みがされてきたが、どんなに多くの研究費を当時でも、良い成果は得られなかった。今更若造が何を言い出すのか。」といった具合でした。取り合ってくれないだけならまだいい方で、「過去の研究者たちを侮辱するのか!」といったように、まるで非国民とでも言うかのような言い方をする人も少なくありませんでした。

さて、どうしたものかと途方に暮れながら、私たちは一つの妙案を思いつきました。

一言で説明しようとしてもダメなら、これまでの過去の研究すべてを網羅した一冊のレポートを書けばいいのではないか?

脳の研究はまさに日進月歩で、当時わからなかったことも日々明らかになっています。そして、脳のことを知っている人は、コンピュータ科学の研究者よりも、むしろ人間と日々接している教育者や、あるいは育児のプロフェッショナル、そして、動物行動の研究者に多いのです。

脳の研究、そして、AIの研究を調べれば調べるほど、いかに過去のAI研究者が、人間や動物についての理解を蔑ろにしていたか、すなわち、「生命」というものへの理解を蔑ろにしていたかが明らかになってきました。その結果として、私たちの研究グループでは、人間や生命への研究にもとづく新しいコンピューティング・システムによって、人をバカにするのではなく賢くしていく、というコンセプトを提唱するに至り、その成果を200ページのレポートにまとめたのです。

私たちの考え方は、AIがブームになり、データ分析が当たり前になり、そして、社会全体がデジタル化するその遥か先を見据えていました。単にデジタル化して終わりではない、人が幸せになってはじめてデジタル技術は活かされる。

昨今、ようやく多くの大企業が、単にデジタルを導入するだけでなく、それを活かす人を育てる必要があるということに気づき、「リ・スキリング」つまり、スキルを学び直す、などということの必要性を提唱し始めています。

ですが、そのようなことは、AIやデジタルなどの技術だけを見るのではなく、それを使う側の人間についての興味が少しでもあれば、10年以上も前から、火を見るより明らかなのです。

すなわち、AIやデジタル技術が活かされるためには、単にプログラミングができる人を増やしても何の意味もありません。「人を幸せにするとはどういうことか」がわかってはじめて、そうしたプログラミングなどのスキルは意味を持ちます。そうでなければ、誰も幸せにしないシステムを作るために、何の意味もない残業をして終わるだけのプログラマーが生み出されることでしょう。

今、私の会社では、そんな風に、人を幸せにするとはどういうことか、そのためにどのようなデジタルへの関わり方があるかを教えています。そして、その素地を持った人たちに対して、AIなどの技術を教えています。

もうちょっと具体的に、どんなことをやっているの?

世の中では、よく、デジタルを使うと業務効率化ができるのだといわれます。実際、プログラムを一つ作るだけで、一日かかる作業が10分で終わってしまいます。それくらい、「機械に任せる」というのは圧倒的な力があります。ですが、単に業務を効率化するだけで終わってしまうと、「人件費がいらなくなる」という会社にとっての恩恵は得られますが、それでは、会社に雇われている側の労働者にとっては、自分の仕事を奪われてしまうだけです。

そういった、単に業務を効率的にこなせるようにするだけのことは「守りのデジタル(DX)」と呼ばれます。「守り」の大事なことは、業務が効率化されて、人件費がいらなくなることではありません。

業務が効率化されるということは、新しく入ってきた人でも、ミスなく、着実に業務がこなせるということです。既に業務に慣れた人にではなく、まだ業務に慣れていない人にとっても、自分の身体の一部のように、業務がこなせるようになることすらあります。

このお話をするときに、私は、プロ野球を代表する選手・監督であった長嶋茂雄さんを例に出すことがあります。

彼は、若手を育成する際に、「もっとガッとやってバッと打つんだ!」といったようなことを仰って、若手を混乱させたといいます。

長嶋茂雄さんのような表現は、極端ではなく、多くの会社で、若手を育成する際に今でも見られます。「業務は教えてもらうんじゃなくて、見よう見まねで学べ」という指導をする会社もまだまだ少なくありません。こうした会社は、ベテランがいなくなったら途端に立ち行かなくなってしまいます。

ですが、若手が入社した際に既に効率化がなされていて、幅広い業務が自分の身体の一部のように感じられたらどうでしょうか。

入社したての若手は、すぐに業務の全体像を理解し、余裕を持って業務にあたることができます。そうなると、お客さんの顔が見え、お客さんの気持ちに寄り添えるようになり、「もっとこうすればいいのではないか」と創意工夫できるようになります。

これこそが、「守り」から「攻め」に転じられるようになる瞬間です。

小売店でお客さんに喜んでもらえれば、また次も、お客さんに選んでもらえ、ひいては売り上げ向上につながります。お客さんだけでなく、一緒に仕事をしている同僚の気持ちがわかり、彼ら彼女らが仕事をしやすいように創意工夫ができれば、会社全体に一体感が生まれ、よりアイデアが生まれやすくなります。

こんな風に、私の会社では、「人を育てる」ことを通して、「人を幸せにするとはどういうことか」を伝え、デジタルによって業務を効率化するだけでなく、売り上げの拡大や、一体感のある組織づくりを行っています。

もう少し具体的にとなると、あとは会社のホームページに、ということになりますが、今まさに、会社の研修サービスを大きくリニューアル中ですので、公開できるタイミングでこちらでも紹介していこうと思っています。

「デジタルとの共生」とは、人が幸せになること

AIやデジタル技術が好きな人は、よく、「デジタルと共生しましょう」という言葉を口にします。ですが、多くの場合、それは、単にAIやデジタル技術が好きな人が、自分の価値観を押し付けているだけで、押し付けられる側の立場に立った発言ではありません。

一方で、AIやデジタル技術など、「新しいもの」に対して懸念を示す側の人もまた、単に自分が嫌いなだけで、必ずしも、同じ会社の若手や、もっというと、これから社会を支えてくれる子どもたちの立場に立って考えているわけではありません。

私の会社の理念を「AIをすべての人々に。」としたのは、単に、AIやデジタル技術を流布したいという、押し付けの理念ではありません。誰もがその恩恵を受け、幸せを感じられる社会にしたいという想いを、その言葉に込めています。

これからも株式会社オンギガンツを通して、日本の、そして世界の人々を幸せにし、誰もが未来に希望を持てる社会にしていきたいと思っています。

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