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ジェンダーロールとの向き合い方

日本は男女の社会的性差の強い国だ。Global Gender Gap Reportでは、2018年の日本の順位は、149か国中114位、G7では最下位だった。特に経済分野、政治分野での順位が足を引っ張っている。

このような国で来年から働く身として、不安を覚えずにはいられない。そこで今日は、日本のジェンダー論に関して、自分の経験をもとに、我々は何を意識していけば良いのかを考えようと思う。

はじめに

ジェンダーとは、社会的、心理的な意味での性別のことである。また、ジェンダーロールとは、女性はこうあるべき~男性はこうあるべき~といった、自分のジェンダーに課される役割のことだ。

日本は、世界の中でもジェンダーロールに強くとらわれている国だと思う。個人的にも、日本のジェンダーロールの強さに違和感を感じたことが多々ある。

ジェンダーロールに違和感を感じた話

例えば私が所属していた水泳部では、主将は必ず男子部員がやるという暗黙の了解があった。そもそも女子は水泳部女子陣を名乗るが、男子陣というものは存在しなかった。

女子の人数が少なかったから、というのはあるかもしれない。

しかし、男子更衣室で男子のコンセンサスが取れたあとに、女子に話が入ってくるようなこともあり、「部活の決め事をするのは男子だ」という雰囲気を感じていた。

こう書くと、あたかも私はジェンダーロールの被害者のように見えるかもしれない。

ジェンダーロールに乗っかった話

しかし、反対に、私はジェンダーロールを活用しておいしい経験をしたこともある。

例えば男子と行動しているときに重い荷物を持ってもらったり。扉を開けてもらったり。

「男子は女子に優しくするべき」というジェンダーロールを「私のわがままは通るべき」と解釈して、男子多数女子一人の空間で自分の意見を通したこともある。面倒な実験を「○○くん、これお願いしてもいいかなあ?」で押し付けてしまったりも。

ジェンダーロールで恥をかいた話

さらに、ジェンダーロールに無意識に囚われていたため、恥ずかしい経験をしたこともある。

「男子は朝の準備楽でいいよね~」という発言をしたら、その場にいた男子全員にキョトンとされてしまったことがある。私の発言の裏には「男子は女子よりおしゃれじゃない。身なりに気を使っていない。」という偏見があった。

話を聞くと、彼らは私よりもはるかに身なりにこだわる人たちだった。髪も毎朝念入りにセットするし、肌やファッションへの意識も私とは比べ物にならないほど高かった。

思い込みがあったこと。それに無意識だったこと。この二点に私はとても恥ずかしくなった。

ジェンダーロールはみんなの問題

このような固定観念に囚われているのは私だけでは無いと思う。

「料理上手な女の子が好きだなあ」と言う男子の友達は大勢いる。「働きたくない。」と言っている女子の友達もいっぱいいる。ネットを開けば「女子力向上」のための美容や、メイク、しぐさについての記事であふれている。

女子が足を開くことは下品だ。女子が手をたたいて笑うことははしたない。日本だとこのような教育を施される女子は多いと思う。しかしヨーロッパやアメリカではこのような男女の行動に対する制限は無い。

これは女子だけの問題ではない。エマ・ワトソンの演説にもあるとおり、男性の方が自殺率が高いというデータがある。この原因として「男性が家庭を支えなくてはいけないというプレッシャーがあるから」なんていう説も唱えられているのだとか。

ジェンダーロールと向き合うために

このようなジェンダーロールに囚われた私たち、そしてそれを前提として回る社会において我々はどうしたら良いのだろうか。

私は、2つ大事な意識付けがあると思う。①自分の考え方に偏見が含まれていないか注意すること。②偏見を持って行動するのは同意があるときだけにすること。

①自分の考え方に偏見が含まれていないか注意すること
私の経験談からも分かるように、無意識にもジェンダーロールは潜んでいるのだと思う。自分がある人に対して持った意見が、本当にその人を見て思ったものなのか、それとも偏見に基づいて判断したのか。自分の意見を客観視できる人になりたい。

②偏見を持って行動するのは同意があるときだけ
相手も共通の偏見(ジェンダーロール)を持っているなら、同意をもとにお互いが自分の役割を担っているだけで、問題ないのだと思う。
でも自分の行動が相手にとって不快感を与えていたり、相手の選択肢を狭めてしまっているものなら、その自覚を持たないといけない。自覚して、行動を改めるべきなのだと思う。

なんだか抽象的で分かりにくくなってしまった。
簡単にまとめると、

・無意識にもジェンダーロールは存在する。それくらい日本のジェンダー意識は強い。
・無意識なジェンダーロールも客観視できるようにしよう
・ジェンダーは完全に悪いものでは無い。相手に不利な場合は取り払うべき

こんな感じです!

最後に

中高、女子校に通っていたのだが、そこでは「男子」という存在がいないからこそ「女性らしさ」ではなく、「自分らしさ」を大切にできる環境があったと思う。私たちはのびのびとそれぞれの個性でそれぞれを評価していた。

ジェンダーという考え方を全否定することは違うし、強要することも違う(これはこの記事より)。

だからこそ、人々の考え方を少しずつ変えて、男女の枠組みで真っ先に判断するのではなく、「個」と向き合えるような社会にできたらな、と思う。

<参考にしたサイト>



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