子どもの感情は重要だ

はじめに

チャイルドコーチングマイスターという資格を取得した。

この講座を受講して色んな意味で自分の認識を改めることができた。

まずはコーチングという言葉に対する誤解だ。

スポーツなどにおいて指導する立場の人を「コーチ」と呼ぶように、私の中のイメージの「コーチング」はコーチをする側が持っている知識や経験などを基にコーチを受ける側に教えることであった。ところがコーチングのゴールは「コーチを受ける側が解決策を自ら考え、自分で行動をさせること」である。すなわち、コーチングを受ける側が主体的に考え、解決していくことなのである。コーチが解決策を示す(これを「ティーチング」という)わけではない。このため、コーチングをする人は、コーチングを受ける人よりも深い知識を必要とするわけではない。

コーチングにおいては、如何に相手との信頼関係を結ぶことができるかが重要だ。信頼関係が構築されてこそ始めて対話が成り立つ。そもそも信頼関係が無い状態ではティーチングですらままないだろう。

以下、この資格取得の学習をきっかけに特に印象に残ったことについて記す。

話を最後までしっかり聞く

一番大事なのは傾聴すなわち相手(チャイルドコーチングにおいては「子ども」)の話をしっかりと聞くことである。これが出来ないとコーチングの最初の一歩が踏み出せない。なぜ話を最後まで聞くのが重要なのか?それは、話し手は思考が整理されてから話しをしだすのではなく、話している内に考えがまとまっていくからだ。

つまり、自分の話を相手からさえぎられてしまうと思考がまとまらない。

しかもその途中の内容は思考が整理しきっていない内容なので、その点について相手から受けた指摘というのは本質的な指摘にはなっていない可能性もある。そうなると子どもとしては誤解に基づくずれた指摘を受けただけで、コーチ(チャイルドコーチングにおいては主に「親」)への信頼が揺らぐ結果となる。

私はこの講座を受講することで、話している最中に思考がまとまるという点を改めて認識しなおした。

確かに自分の言いたい事を文章化することで思考がまとまることがある。
またインプットした内容をアウトプットすることでも思考がまとまる。
これと同様に話しをするというアウトプットをしている最中に思考がまとまるのも当然だ。今まで、話す内容が発散していく人、変わっていくことは良くないことだという風に認識していたが、考えがまとまっていない状態においては寧ろ変わっていく方が自然であり、状況によっては許容されるべきことなのだと気付いた。

ストーリーよりも感情に着目する

話を聞くときには、ストーリーよりも、そのストーリーがどのような感情で話されるかに着目をすべきとのことだ。すなわち「誰が何をしたから喧嘩が起こった」という物事の経過に注意を払うのか、それとも「誰が何をした時こう思った」という話し手の感情に注意を向けるべきということだ。この違いによってリスニングから受けられるものが大きく変わる。

以下、当該資格の講座テキストから引用する。

ストーリーに着目した場合
親が聞き取った内容:「姉が塗り絵をしている時に、妹がクレヨンを一本取った。それで姉がクレヨンを乱暴に取り上げたので妹が泣き出した」

この話の内容から予想される親の反応:「クレヨンの一本くらい貸してあげなさい」「どうして仲良く分け合えないの?」

この話から親が出した結論:「お姉ちゃんは、人に物を与えるのが苦手なようだ」「ケチなのかもしれない」「性格がきついのかもしれない」
話し手の感情に着目した場合
親が聞き取った内容:「妹がわたし(姉)のクレヨンを勝手に取った。以前、大切にしていた色鉛筆を妹に折られて悲しかったので、今度もそのようなことがまた起こると嫌だと思い、急いでクレヨンを取り上げた。妹はびっくりして泣き出した」

親の反応:「色鉛筆を折られて(そんなに)悲しかったんだ」「クレヨンを(そんなに)大切に感じていたんだ」「妹に意地悪をしたわけでなく、二人の感情が行き違っただけだった」

この話から親が出した結論:上の子は自分の所有物を守りたい自我が出てきたのかもしれない。絵の才能があるのかもしれないから伸ばしてあげよう。一方で、妹が好きに使えるクレヨンを与えてあげよう。

親の出した結論があまりにも違う。

私は、比較的に感情を主体とするのは悪という認識でおり、色々な物事をなるべく感情を考慮せず事実ベースで判断するようにしようとしていた。一方、コーチングにおいては逆の視点を持たないとダメだということに気付かされた。

確かに、子ども同士の喧嘩において上記のやり取りというのは実際にある。まさしく「大切にしていたものを壊されるので貸したくない」という考えで貸したがらない現場を何回も見てきた。そしてそれを解決するためには、その感情を大切にする対応をしないとうまくいかないことも経験している。つまり、上記の例(とほぼそのままの状況が現実に発生することも多い)においてはそれぞれの子どもに専用のものを与えるということだ。

私は、この講座を受講するまでは、このような状況において私は本当にうまく対処できたのだろうか?それぞれ別々に買い与えることが本当に良いことなのだろうか?など様々な悩みがあった。もちろん常に何でも別々に買い与えるのは良く無いだろう。ただし、別々に買い与えること自体が悪いわけではなく、そうすることも必要である、という視点を第3者(この講座)から教えられたのは良かった。

あなたは○○だ、ではなく私は○○と思うと伝えるべき

「あなたは○○だ」という伝え方は、相手にとっては「非難や批評、決め付け」と受け取られてしまう。このため、「私は○○と思う」と伝える方が良い。

例えば、帰りが遅くなった子どもに対して「あなたはいつも連絡しないで遅れてくる」というのではなく「私はあなたが遅くまで帰ってこないので心配していた」と伝えるべきだ。こうすることで、前者の場合には非難されていると感じ対話をする気がなくなる。一方、後者の場合には、非難されている気がしないため、むしろ心配させてしまったことに対して謝り、何故遅れてしまったのかを説明する対話が続けられる。

また、「私は○○と思う」のような使い方は次のような場合にも有効だという。「○○さんが怒るから」などと他者を登場させて子どもの行動を改めさせるのではなく(親が子どもに対してよくやると思う)、まず「わたし(親)がこう感じた」という伝えるようにする。

このように親がメッセージに責任を持つと、子どもも真剣にその言葉を受け止めるようになる。それは「第三者がこう言っているから」というメッセージは誰にも責任がないために子どもも無視しがちになるからだ。

他者への影響を説明するときも「あなたはどうして他の人の迷惑が考えられないの?」というように子どもの人格そのものを批判しないようにするべきだ。自分が批判されれば、自分を守ることに必死になり、他者を考慮してみる余裕がなくなってしまうので、「○○ちゃんが待合室で騒いだら、待っている人はどう思うかな?」などのような質問をして、子どもの共感する力に訴えかけるのが良いとのことだ。

これに関しては私はよくやっていたので改めている。例えば、集合住宅に住んでいるのだが、家の中で走っていると下の階の人に迷惑になる。今までは「下の人がうるさくて迷惑かかるからやめようね」という感じの伝え方だったのだが、「もし上の階の人が家の中で走ってうるさかったら、私はうるさくて迷惑だと思うよ。あなたはどう思う?」というような形に変えるようになった。

おわりに

チャイルドコーチングに関して学習をすることで、子どもの感情に対してもっとしっかりと目を向けることが重要だということを認識するきっかけになったのは大きかった。

コーチングというものを知らない人やコーチングをティーチングと誤解していた人は、本資格に限らずコーチングに関する本などを読んでみると良いと思う。

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