外国語はサバイバルで身に付けよ?

振り返れば私の周りで第2外国語を習得している人達は、口を揃えてこう言う。「サバイバルで身に付けた」。私が受講している韓国語オンラインレッスンの先生も日本語が上手なのだが、やはりサバイバルだったらしい。日本に滞在した初期は、日本語を勉強してきたのに何だか全然分からず、相当なサバイバルを生き抜いた、とケラケラ笑っていた。

日本の都心に住む外国人の場合、入国後早目に品川にある入国監理局にいくことになるが、そもそも品川にある入国管理局に行くまでがある意味サバイバルだろう。

まずは品川駅まで行かなければならない。日本人でも都心に住んでいなければ品川駅まで電車を乗りついでいくのは大変だろう。そして品川駅からは入国管理局の前を通る路線バスに乗る必要がある。品川駅の広い構内を出た上に、バス停までの道程も単純ではない。バス停は駅出口からは何とも分かりづらい場所にある。

幸いにも、入国管理局を通るバスが出発するバス停には、長蛇の列を整理するための係員がいる。このため、バス停の近くまで行ければ係員が目印になるだろう。ただし、この係員は混雑する時間帯、例えば入国管理局の開館時間近くに到着する時間帯しかいないと思うが。

日本語が不自由な状態で都心に住むことになったら入国管理局まで辿りつけない人いるんじゃないかと思う複雑さだ。私だったら途方に暮れるだろう。

さて、語学学習に関して色々と調べている内に日本語教育について興味が出てきて、それに関係する書籍を読んでいたのだが、その書籍に面白そうな本が紹介されていたため読んでみた。

言われてみれば外国人力士は日本語がうまい印象がある。

この本の中でも言及されているように、同じ外国人でも力士は日本語が上手だが、大リーガーなどの野球選手に比べ(個人差が大きいが)相対的に力士の方が上手だと思う。野球選手には失礼な話だが、この本を読むと力士が上手な理由に納得が行くだろう。

この本の著者がその理由について外国人力士に尋ねたところ、以下のように答えているのが印象的だ。

力士A: ハングリー精神が違う。日本の相撲に慣れても日本語がしゃべれなかったら馬鹿にされてばっかりでどうしようもない。
力士B: 野球選手は最初から通訳がついてるし、1年ごとの契約で、日本語覚える必要なんてない。それに彼らがせっかく日本語で聞いても英語で返ってくるから覚える必要ない。自分の場合は部屋に返っても日本語しかなかったから、仕方なく覚えるしかなかった。

この本で紹介されている外国人力士は、大抵は相撲部屋で母国語禁止もしくは禁止に近いような使用制限がされているようだ。基本的に使う言葉は日本語のみ。徹底した日本語環境に置かれている。そのような環境に慣れていくと、同郷の力士との会話も母国語よりも日本語の方が楽になるようだ。むしろ母国語がとっさに出て来ないというケースもあるらしい。

そして、日本語が達者になる力士は、えてして相撲部屋だけではなく、その外にも日本語を使う環境をうまく構築しているらしい。後援会や地元の商店の人たちとの会話も積極的に行ない、地方に巡業に行ったときには、その地方の後援会の方々が話す方言が自然と出て来る。カラオケが好きな外国人力士だと、日本語の歌を覚えるときにCDを聴いてまるごと暗記してしまうような徹底さだ。

私は今、韓国語の学習をしているのだが、サバイバルを生き抜くハングリー精神があるのだろうか、とふと思った。

今の世の中、日本でもそうなのだが、言葉を発さなくてもある程度日常を生きていくことは出来てしまう。買い物をするときにも言葉が分からなければジェスチャーで何とかなる。ジェスチャーで何とかなると、その次も下手すると同じような局面をジェスチャーで乗り切ってしまうこともある。ジェスチャーで乗り切った後に、それをどういう表現をすべきだったのかを後程振り返る機会をしっかり作らないと言語習得は難しいだろう。

甘えてしまえば結構甘えられるのだが、周りの環境を全て良い学習機会と考えるように意識を変えていかないといけないことを振り返るきっかけになった。

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