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創作/小石集めが趣味の人の話

金曜日になったらわたしはいつも、ひとつだけ、河原の小石をひとつ持って帰る。よく洗って乾かして、日付を書いたラベルとともに標本用の箱に飾るのだ。それらは、過ぎた日々のきろく。確かにその日が存在したあかし。ささやかなしあわせ。

……なのだが、今気づいたことがある。全く取り出していないし、なんなら標本箱を触ってすらいないのに、昨日見た時とは石の角度が変わっているのだ。しかも全てが。毎日眺めているのだから分かる。

なんだか、こちらを、見ている、気がする。そう思った、その時だった。

……帰りたい。石たちは確かにそう言った。

そうだったのか。ならば、帰してやらなければ。わたしはまず、勝手に河原から石たちを連れて来てしまった事を詫びた。

石が喋ったことを、恐ろしいとは思わなかった。日本には八百万の神がおわすのだから、それくらい起きても不思議ではなかろう。

だが、すぐに帰してやるのは惜しい。わたしは訊ねた。せめて写真を撮らせてはくれまいか。ひとつひとつ。

石たちは快諾してくれた。わたしは石たちの意見をもとに、それぞれにとってベストな角度で写真を撮った。これを現像してアルバムにしよう。そう思いながら。

撮影会のさなか、わたしは再び訊ねた。この習慣……金曜日に河原で小石を拾う習慣……を失いたくない。だからせめて、毎週金曜日にあなたがた河原に住む小石たちの中からひとつ持ち帰り、写真を撮って次の日に返しに来る。そういうことは、してもよいだろうか。

石たちはしばし話し合ったのちに、代表らしき、先々月の第二金曜日の小石が答えた。ここにいる者たちでは決められなさそうだから、河原のみなと相談しようと思う。まずは河原に連れて行ってほしい。

私は頷き、標本箱を手に取り、部屋を後にした。

その時から果たしてどれだけ経ったか。アルバムを確認すればすぐ分かることだが……わたしはこの金曜日も、小石の撮影会をするために、いつもの河原にやってきている。

そう、石たちはわたしの願いを快諾してくれたのだ。大きな石までも名乗りをあげた時は流石に困ったが、そういう時は土曜日の日が出ているうちに、ラベルとともに、河原にある状態で写真を撮ることに決まった。

小石たちを飾っていた頃とはまた違ったしあわせが、今はある。アルバムはどんどん増えていく。このまま、やがては仕事を退職し、果ては歩けなくなるまで続けていくつもりだ。

いとしの路端の石たちは、拾われない限り、わたしの命が終わっても、変わらずここにあるだろう。世の終わりまで。

おしまい。

🪨石を眺めるのは楽しいですね。河原が近所にないから、イメージだけで乗り切りました。河原の石、ほんとは持ち帰っちゃだめらしいね……

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