幸福感って所詮は・・・

 まだ私が30代の若かりしころ、イスラム原理主義政権が崩壊し、カルザイ大統領のもとで新しい政権が打ち立てられたばかりのアフガニスタンに出張を命じられた。
 当時、夢だったマイホームを建築中。自ら図面を引いて、入居の日を心待ちにしていた。出張命令を受けた日、果たして、俺は新居に入れるかな、と真剣に思った。
 成田からまずタイのバンコクに飛び、パキスタン航空に乗り換えてパキスタンの首都、イスラマバードに向かう。暮れなずむイスラマバード空港に着き、「タクシー」「タクシー」とまとわりつく白タク運転手を振り切って旅行社が手配してくれたタクシーに乗り、トラックの荷台に鈴なりになっている人々が行き交う街を疾走していると、「とうとうこんな地の果てまで来てしまった」と落ち込み、気持ちが塞いだ。オイオイ、まだ先があるぜ、と別の自分の声がした。
 翌朝、国連のチャーター機に乗ってアフガニスタンのカブールへ。上空から見たカブールは、山に木がほとんど生えておらず、破壊された建物が目に付く。いかにも戦争を終えたばかり、という気配が濃厚な街だった。
 「インターコンチネンタルホテル」という、有名なホテルチェーンを名乗っているが実は全く関係のない薄汚れたホテル(それでも当時のカブールでは最高級)にチェックイン。「とうとう来ちまったぜ、アフガンに」と打ちのめされていた。
 4-5日、カブールで仕事をこなす。ランチは数軒しかないカブールのレストランに。車でレストラン前に到着すると、全速力でダッシュして店に駆け込む。のろのろ歩いていると銃撃される可能性があるのだ。現地に展開する多国籍の兵隊さんたちと一緒に、傍らに立てかけられた銃を気にしながらスパゲッティを食べたこともあった。予想通り、早々にお腹をこわし下痢に悩まされた。道路を走ると、延々と赤い石が並んでいた。「この石を越えるな。地雷未撤去」というサインだ。
 そしていよいよ、南部の都市、カンダハルへ。イスラム原理主義の本拠地ともいえる場所で、身を引き締めた。
 滞在予定は3日間。空き時間にベランダで読書していると、あっという間に本の表面がザラザラするくらい、ひどい砂塵が飛んでいる。階段が破壊された小学校で、子供たちは外からかけられた梯子で2階の教室に登って授業を受け、校庭に放置された戦車で遊んでいた。早くこの場所を脱出したいな、と思いながらホテルに帰ってしばらく休んでいると、現地の世話役の係員が駆け込んできた。一緒に出張としていたもう一人の同僚が腸チフスにやられた、という。彼とは2時間ほど前に一緒にランチしたばかり、と驚いていると、緊急にこの後の飛行機で彼をカブールに搬送するので、今日乗る筈だった乗客の席を空けてもらわねばならず、代わってそのお客に明日の君のカブール便の席を譲ってほしい、という。断れるはずもなく承諾し、予期せずしてカンダハルにもう1日余計に滞在する羽目になった。思わず天を仰いだ。
 待望のカブールに戻った時、「やっとカブールに戻れた」と喜んだ。そして、アフガンでの仕事を終えてイスラマバードのホテルに到着したとき、「イスラマバードって何と良いところなんだろう」と気持ちが弾んでいる自分を発見した。
 待てよ、2週間前、ここに到着したときに気分と正反対だな、と可笑しかった。そして、ハッとした。そうだ、所詮、人間の幸福感って、相対的なものなのだ。幸福感がインフレしていると中々幸福感を感じられないが、幸福を感じるレベルを下がると、ちょっとしたことでもこんなに嬉しく、幸福なのだ。
 まあ、一種、悟りのようなものかもしれない。あの時以来、アフガンの地を踏んだことはなく、幸福感を感じるレベルは以前と同じ、すっかり高止まりしたままで、日ごろの不平不満は尽きないのであるが、たまに嫌なことがあった日は「所詮は相対的なものだ」と思い出したように自分を慰めるのである。

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