KristのThairatインタビュー記事(和訳)②
タイラットオンラインのKristのインタビュー記事の和訳です。出来るだけタイ語の通りに訳す努力はしていますが、意訳の箇所もありますので、ご了承下さい。全部訳すには時間がかかるので、複数回に分けて投稿していきます。あくまでも個人的な和訳なので、その点はご理解下さい。
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「SOTUSが、皆さんが僕を覚えた最初の作品ですが、実際には、SOTUSの1年前にはMy Rhythmに出会っていました。SOTUSは大学4年のときに出演したものです。監督が編集に関して非常に厳格な方なんです。」
心が折れるほどオーディションを片っ端から受けた
「まだ演技できてないのかもしれないと感じたことがあります。子供の頃、演劇に合格したこともありますが、小学3年4年のとき、同じようにコンプレックスを持っていたんです。何にも合格できなかったから。
カメラの前を歩くだけのエキストラの役しかもらえなくて、『えっ、これって演技じゃないよね』と思ったので、何も引き受けませんでした。」
「My Rhythmから一瞬で、(芸能界への)最初の扉を開けたような気がします。すごくたくさんの仕事に出会えましたし、My Rhythmのモデルマネージャーたちが僕に仕事をくれたりもしました。偶然にも新しいモデルマネージャーと出会うことも出来ました。その当時、1学期の間に30くらいのオーディションを受けていて、ほぼ毎日オーディションに行っていました。
僕と、Mike、Title、の3人と学校の友達で、ほぼ毎日オーディションを片っ端から受けていました。授業が終わったらすぐにオーディションに向かったり、オーディションが終わってから授業に出たり。1ヶ月こんな感じでした。オーディションの仕事は映画やCM、短編映画など、色んなものがあって、あらゆるオーディションを受けました。
DTAC(タイの通信サービスの会社)のコンテストを受けたときは一番上手くいったと思いましたね。あのときはすごく嬉しかった。絶対に受かったと思ったんです。でも結果はダメでした。でも、一つだけ通ったものがあったんです。というのも、29、30のオーディションを受けていた時期に、SOTUSのオーディションを受けた後、他のオーディションを受けるのを全部やめたんです。
SOTUSのオーディションに行ったとき、チェンマイからオーディションが始まって、それは僕は行ってないですよ、チェンマイでは応募した人が700人、その後バンコクで行われたオーディションでは400人以上だったと聞きました。オーディションを受けた人が全部で1000人くらいいたんです。僕はバンコクでの、一番最後のオーディションの開催を待っていました。」
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