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KristのThairatインタビュー記事(和訳)⑤

タイラットオンラインのKristのインタビュー記事の和訳です。出来るだけタイ語の通りに訳す努力はしていますが、意訳の箇所もありますので、ご了承下さい。全部訳すには時間がかかるので、複数回に分けて投稿していきます。

元の記事・写真の引用はこちら 

学問が嫌いなのに、経済学を専攻した

「実を言うと、My Rhythmの役と同じ感じと言ってもいいと思います。僕は音楽をするのが好きで、自分にとってのアイドル、P'Chat、P'Kaan、P'Kenがいて。つまり、彼らみんなが子供の頃からの僕のアイコンなんです。ロックが大好きで、ロックのコンサートを見て、夢を持っていました。

若い頃は本当にドラマーになるのが夢でした。当時、教授と一緒にバンドを組んだこともあります。でもその頃、仕事があったり、授業があったりで結局やりませんでした。当時の若い頃の僕の夢はそれだけでした。ミュージシャンになりたかった。ドラムの演奏がすごく好きだったんです。

もし仮に、芸能界に入っていなかったとしたら、僕は音楽の道を歩んでいたかもしれないと思います。僕は学問が好きではないので。得意じゃないんです。最終的には夜のミュージシャンになってたかもしれないし、お店で演奏していたかもしれません。もし、仮にここにいなかったとしたら、ね。でも、ちゃんと音楽に向き合っていたと思います。

でも、僕が経済学を専攻したのは、両親のために、音楽に関する学部に入らなかったということです。父親も事業家で、経済学者なので、子供の頃から僕に商売がしたくなるようにさせたんですよ。僕自身こういう風に自分に問いかけました。『音楽は好き?好き。学問は嫌いでしょ?嫌い。でも商売は好きだよ』と。

今もまだ商売は好きだと思います。商売人になれると思うし、ミュージシャンにもなれると思います。でも、会計士みたいな職業について、終始パソコンの前に座って、マーケティング戦略を企画したり、そういうのは出来ません。だって、両親のために勉強しただけだから。自分自身も(経済は)好きだけど、それは経済が自分の家の商売に関わるものだとずっと理解してきたからです。

僕は3人兄弟の真ん中です。両親に叱られましたか?と聞かれると、本当のことを言うと、母には叱られましたね。母は勉強に関してとても真剣で、今でも真剣です。僕に大学院に行ってほしいと思ってます。

でも、父は人生を謳歌するタイプで、実を言うと、僕の家のバランスが僕をこういう風にしたんです。もし母がいなかったら、僕は勉強を投げ出して、卒業せずに父親のように人生を謳歌していたと思います。ネットワークビジネスで稼いでウェイターをして、自分の人生を探していたと思います。僕はこんな感じなんです。

でも母がいたので、勉強に関しても責任を持って、元よりもひどくならないようにしました。勉強はそこそこだと思います。

僕はもう外(社会)で経験したことを生かせてると思います。勉強もして、仕事もして。自分の学費は若い頃から自分で払っていました。大学1年生のときから、学費を全部自分で払うためにお金を稼いでいました。ちょうどその頃、家では少しお金の問題があったので、ネットワークビジネスでお金を稼いでいました。」

「でも、僕がオーディションに行ったのはお金が欲しかったからです。だからオーディションに行ったんです。そして、芸能界へとつながる最初の扉を見つけました。うん、仕事もたぶんそんなに疲れなさそうだし、おまけに楽しくて、報酬も良い、と当時は思っていて、なので友達とオーディションをいっぱい受けていたんです。

でも、言っておくと、子供の頃は父親に強制されてたんですよ。父が『この子は芸能界でもいけるんじゃないか』と考えていたからです。ガンタナー(タイの演劇を勉強する学校)で3年間演劇を習っていました。ミスターディー(ガンタナーの社長の息子)と一緒でした。だから友達なんです。僕とミスターディーは一緒に演劇を習いに行っていました。子供の頃からガンタナーの劇をやってたんです。でも彼の友人役のただのエキストラで、全然目立たない役でした。

でも、あるとき僕がロックが大好きになり、(演劇を)投げ出して、わがままを言って行かなかったり、泣いたこともあります。音楽を習いたかったし、家でオンラインゲームもしたかった、子供として(の生活を)過ごしたかったので、父とCMのオーディションに行きたくなかったんです。なので、小学6年生からはオーディションはやめて、それ以降オーディションには全く興味がありませんでした。(演劇に)もう一度戻ってきたのは、まさにこのMy Rythmを演じたときです。」

「でも、こういう風に見ると僕ってすごくロックですよね。ロックっぽく叫べますよ。すごく楽しそうにドラムを叩いてね。大好きなんです。父が僕に人生設計を立てさせたんです。実は、父もバンドのメンバーだったこともあります。父も音楽が大好きなんです。」

「母もとても喜んでくれてますよ。でも母は僕に大学院に行ってほしいと思っています。一方で、父はここで僕がさらにもっと前へ進んでいけると思っています。

たまに思うんです。僕がやってることは父にとっては良いことなんだろうか?って。『そういうのはダメだよ』なんて(親は)言えないですから。父は今でもいつも僕に教えてくれるのです。父は(僕のことを)誇りに思ってるかもしれないけど、先生みたいで、問題点を見つけて、いつも僕がさらにやるべきことを教えてくれるんです。

例えば、僕が司会をするThe Golden Sing 3では、父が電話をかけてきて、僕は褒めてもらえると期待したんですが、パパは『おい、ルーク(子供に呼びかけるときに使う言葉)、喋らなさすぎだよ。なんでそういう風になったわけ?』って言ったんです。僕は『えっ?そんなに良くなかったの?』って。父はチャレンジするための問題点を教えることで、僕がずっと自分のことに注意するようにしてくれてるんじゃないかな?(それが)僕が子供の頃からの、父のスタイルです。」

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